松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

漢字のない にほんご は可能

てんじ・しようしゃは、100ねん いじょうに わたって、にほんごを かんじ ぬきで よみかき してきた。
(とちゅう しょうりゃく)

こういった げんじつを ふまえて、これからは、かんじを なるべく つかわない ように こころがけ なくては ならない。そして、かんじがにがてな ひとには、「かんじを つかわない じゆう」を みとめる べきだ。もし、かんじを つかわない ぶんしょうは「よむきがおきない」といって、かながきの ぶんしょうを はねのけるなら、マイノリティだけが そんを すること になる。にほんごを、だれにでもひらかれた、いきいき とした ことばに して いかなくては ならない。
http://www.geocities.jp/hituzinosanpo/abe2001.html

 なるほど ふかのうでは ない。


日本語で話し聞き漢字のない文を書き読む、少なくない人たちの存在をわたしは知らなかった。


石川さんは現代の日本文でも漢文化することは可能だと例をあげている。

心病気専門扱「心家庭医学」
心ノ病気ヲ専門ニ扱ッタ「心ノ家庭医学」  p104同上
こころの びょうきを せんもんに あつかった 「こころの かていいがく」

日本語には3種類の表記法があると!