松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

道はこの道

「美知波此道」というフレーズにつまづいて書きつづけられなかった。
道とは何か? まさに私たちが生きるその基盤を指す言葉だろう。伊藤仁斎は書いている。「道猶路也。人之所以往来通行也。」「道者。人倫日用当行之未知。」わたしたちが知っている仁斎や宣長は、(同じ日本語なので気づきにくいが)「道はなお路のごとし。」という小学校の国語教育によって身に着けた漢字かな交じり文という正書法で表現して思考した人であるかのように考えてしまう。しかし仁斎が出版した本は(返り点、送りがなは付いているものの)漢字ばかりの漢文で書かれている。
仁斎は1627年生まれ、宣長は1730年生まれなので百年後であるが、その間徂徠などがでて知識人の漢文熱はむしろ高まっていたと考えられる。玉鉾百首というものを見たときわたしたちは奇異の念にとらわれる。儒教仏教という外来の文化に汚染されていない本来の日本的なものを求めるなら当然、漢字を追放しかな(ひらがな、カナカナ)だけで表現すればよかったのになぜ、万葉仮名なんてものに執着しオタク的にそれに拘ってみせたのか。万葉仮名は漢字そのものであり、日本語が漢字から自立できないことを強調するそのようなパフォーマンスにしかならないではないか。わたしたちは皆そう思う。しかしそれは明治に入ってきた近代言語学が「表音文字優位」というイデオロギーを掲げているのを知り喜んだ国語学者によって作られた国語教育によって作られた感受性にすぎない。宣長の時代かなはあくまで仮名(仮の文字)にすぎずそれだけで自立できるとは考えられなかった。


さて、それにしても、
「道者許能美知」「道者此道」「美知波此道」とは何か、ですが。
だいたい「みち」を美知とかくとはミーハーな女学生じみてはいないか。「み」にいつも「美」を当てているかというとそうではなく、「かみ(神)」には「迦微」が当てられている。神とは真善美であるから「加美」でもよさそなものであるが、神=真善美という儒教宋学)的臭気を嫌って「美」の字を避けている。であるにもかかわらず、道は「美知」である。中国風さかしらな言挙げを拒否するならむしろ「未知」でもよかったのではないか。いずれにしても「表音文字」というイデオロギーを知っているわたしたちにはこっけいで不快なパフォーマンスにしかみえない。

あめつちの極キワみ御照ミテラす高光タカヒカる 日の大神のみちは斯コの道
高御座タカミクラ天アマつ日嗣ヒツギと日の御子ミコの 受け伝へます道は斯コの道
天の下青人草アオヒトグサのあさよひに 御蔭ミカゲとよそるみちは斯コの道
http://www2u.biglobe.ne.jp/~gln/77/7718/771851.htm

「みちはこのみち」だけでは分からないので3首の歌に戻る。(あるサイトからコピペしたがここではまた表記が変わっている。)玉鉾百首については歌としてこれをほめるひとはいないがなるほどどうも中身がない。太陽であるところの神は偉大でありそれがてらすものは一面の青人草である。画面一面に草たちが盛んに生い茂りそれを強大な太陽が照らしている。といっても絵としては単純過ぎて面白みがない。でそれが「みちはこのみち」といわれてもなんのことか分からない。
 仁斎の「道猶路也。人之所以往来通行也。」「道者。人倫日用当行之未知。」はわたしたちが日々喜怒哀楽を持って生きているそのリアリズムと(あえていえば)戦乱の時代を克服した京の町衆の自信に裏付けられている。それに比べると宣長はうらさびしい紙芝居の一枚の絵のようで、どうも中身がない。

然れども天地は萬古常に覆載し、日月は萬古常に照臨し、四時は萬古常に推遷し、山川は萬古常に峙流し、羽ある者、毛ある者、鱗ある者、裸なる者、植うる者、蔓へる者、萬古常に此の若し。形を以て化する者は、萬古常に形を以て化す。氣を以て化する者は、萬古常に氣を以て化す。相傳へ相蒸し、生生窮まり無し。(仁斎「語孟字義」・道の5)
http://www.flet.keio.ac.jp/~syosin/jigi.html

 詩人としては仁斎の方が宣長より上だな。天地が生生窮まり無い様子を生き生きとした文章にしている。おそらく天地の生生窮まり無さということについては、宣長も全面賛成するのではないか。その上でそれはすべて太陽エネルギーのお蔭だと自然科学的真実(でもあろうこと)を持ち出してくる。すなわちそれは「日の大神のみち」であると自らの神学に横領する。その臆面のなさが「道はこの道」と3度繰り返すところに表れている。

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