松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

一ばん意味のあいまいな言葉

例外ばかり系統的に教えてほしい。その間に私は、一ばん意味のあいまいな言葉や文章をさがしていたい。
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 例外を教えざるを得ないのは教師にとって不本意なことだ。世界をこういう角度から見れば秩序立って美しく見えるということに気づいてもらうのが講義であろうから。世界はノイズに満ちており例外にばかり注目していても何も生まれない。しかしその点で興味深い例外があり語学がそれだ。文法のどの法則にもかならず例外がある。そして法則がシンプルな形をしているのに対して、例外は一個一個特異で教えにくく勢い教えるのに時間がかかる。そこでぼんやりした受講生は肝心の法則をきっちり理解しないまま例外が多いなあという印象だけを受けてしまう。
 「一ばん意味のあいまいな言葉」に注目するのもおかしい。あいまいなものは良く分からない領域に隠れてしまってうまく対象化できないと人は捉えてしまいがちだ。しかしここではそうではなくそれが素材としてそこにあることはあきらかだととらえられている、そして、そのあいまいさという属性についてさらに考察していくことができると発想される。話は少しずれるが、〈自己の内なる闇〉の対象化といった課題と同じ構図になっている。闇を作っているのは自己である、それを対象化しようとしているのも同じ自己である、このように考えるとこの問題は解けない。儒教金科玉条とした〈反省〉がこのごろ人気がない根拠である。しかしそれは問題設定が間違っているのだ。
 松下昇は教室を占拠した罪で裁かれた。しかし、国家の罪と自己の罪をあるためらいを押し切って黒板に列挙するそうした〈空間〉は絶対に必要なものであり、罪と考えるべきではない。