松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

南画展で蕪村を見た

岩倉の 狂女恋せよ ほととぎす
蕪村

 今日は「南画って何だ」展に行った。20時までだろうと5時半頃行ったら6時までと言われてショック。南画なんか急いで見ても何も面白くない。沢山の作家の絵があったが最初の蕪村(と大雅)が一番興味深かった。
 蕪村の絵は検索しても出てこないので代わりに、句をひとつ掲げておく。なぜ岩倉の狂女なのかの解説は下記。
http://www.geocities.jp/michio_nozawa/episode81.html

ほととぎす平安城を筋かひに 蕪村

血を吐くまで鳴くといった印象をあたえるのがホトトギスの声だそうである。そうした単独者が都の空を横切ってゆく。ホトトギスは去り、軌跡のイメージだけが残る。城市を筋かひに横切ることができる鳥は自由を持つが、鬱屈した自己の逆像としての鳥=自由といった図式ではない。むしろホトトギスはそれ自身の不幸と自由を持って去っていったと、その不可避性と偶然性が軌跡として記憶される。

魚臭き村に出けり夏木立   蕪村

南画は切り立った岩山を書くが、下方にはかならず川か湖がある。苫屋が二三軒描かれることもあるが「魚臭き」まではいかない。でもそのような村を温かい目で描いた作品も2、3あったように思う、今日の展覧会には。


参考: 重文 与謝蕪村富嶽列松図》
http://www-art.aac.pref.aichi.jp/japanese/friend/member/images/kaiho20.pdf