松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

呉相淳はアジアのエメ・セゼールか??

アジアは夜が支配する。そして夜を治める。
夜はアジアの心の象徴であり、アジアは夜の具現である。
アジアの夜は永遠の夜だ。アジアは夜の受胎者だ。
夜はアジアの産婦であり産婆である。
(略)
夜はアジアの感覚であり、感性であり、性欲である。
アジアは夜に万友愛を感じ取り、これを抱擁する。
夜はアジアの食欲である。アジアの体は夜を貪り生成する。
アジアは夜にその霊魂の糧(かて)を求める。猛獣のように……。
夜はアジアの芳醇な酒だ。アジアは夜に酔って歌い、踊る。
(略)
(「アジア最後の夜の風景」呉相淳 金時鐘訳 p77 isbn:9784000238427 )


わたしはエメ・セゼールを知らないので当てずっぽうで言うのだが、上の詩のアジアをアフリカに置き換えると、これはばしばし ネグリチュードっぽい詩のように思えるのだが、どうだろう?
このごろひどく皮相な東アジア共同体論みたいなのが流行っているみたいなので、解毒剤に良いと思い、少しだけ引用した。

呉相淳(ごそうじゅん、1894年旧暦8月‐1963年6月3日)については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E7%9B%B8%E6%B7%B3

本質的には韓国が担った時代の苦痛を真正面から見据えており、宗教をも超越しようとする自由な精神を持った求道者であったといえる。 
http://www.doshisha-alumni.gr.jp/times/200710.html

エメ・セゼール ここに「沈黙の十字軍」という詩がある。
http://ifaa.cc/shoji/maniere.noir2.html