松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

根津公子さんの解雇を許すな!

日の丸・君が代問題です。根津さんは解雇に直面しています。、

転送歓迎。

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Subject:[germinal:01785] 抗議はがき集中のお願い

解雇させない会から、抗議はがき集中のお願いです。
重複の場合ご容赦ください。転載を歓迎します。


 いよいよ3月卒業式が近づいています。その卒業式で、「君が代
不起立を宣言している根津さん河原井さんらのたたかいを、全力で
支え、共にたたかってください。
 そこで皆さまに、処分の口実となる職務命令発出の指揮系統である
下記4ヶ所宛てに、抗議はがきを集中することをお願いします。

  石原慎太郎東京都知事
  東京都教育長/東京都教育委員会委員長
  南大沢学園養護学校
  八王子東養護学校

 宛先、抗議文面のサンプルを、私製はがきの形で用意しました。
A4用紙に両面印刷したうえ、4つ切りにすると私製はがきとなります
(各々50円切手を貼ってください)。
 また官製はがきなどをご使用の場合は、適当な大きさに切り取って
貼り付けるなり、印刷するなりしてご利用ください。

 皆さまのさらなるお力をお貸しいただきたいと考えます。ご協力のほど、
よろしくお願い申し上げます。

 抗議はがきは、↓こちらからダウンロードしてください。

http://kaikosasenaikai.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/index.html#entry-22739775
                            以上

http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm
「根津公子さんのページ」から、根津、河原井さん解雇させない会報12号 の一部を引用しておきます。

○最初は八王子東養護学校です。訪問の旨を事前に℡でお願いしましたが「会わない」という返事でした。でも前回3月8日の時のこともあるので行きました。門はスムーズに開き玄関から廊下奥の受付まで進み正規の手続きも終え待ちました。副校長が降りて来て「校長は北海道に研修でいないので・・・・」ということで校長には会えないことは分かりました。(略)
私たちは副校長に訪問の趣旨を説明し、署名は渡せないので数を書いた鑑文を手渡そうとすると書類は一切受け取らないという頑なな態度を固持しました。「私たちだけには会わないし受け取らないというのは差別ではないか」「ガラス張りの学校経営を目指すというのに矛盾しているではないか」「理由は何ですか」「要請書等を受け取るのは公立学校の義務でしょう」・・・・・と問えば「組織人として・・・・・上司の考えですから・・・・・・」のみを繰り返すばかりでした。30分ほど押し問答をしました。「時間ですので」とそそくさと階段を駆け上って行ってしまいました。何を言っても聞く耳を持たないばかりか紙1枚を受け取る手もない呆れる対応でした。前回は校長まで出てきて署名も受け取っていたのに「今度こそ、そのまた上司(都教委でしょうね)の意に反しないようにやらねば」と校長・副校長の思考が固まってしまっている状況を強く感じました。怖いことです。
(略)
どちらの学校もなにかの命令におびえているようでとても考えた上での行動ではない感じでした。副校長さん達だって障がい児教育に携わる中でかつてはきっと、「教育とは」「自由とは」「憲法とは」「人間とは」と考えたことがあるだろうに。ただただ上司に従う今の自分をふとした時に哀しく思ってほしいものだ。閉ざされた心とは対話は出来ないなーと思いながら都庁へと向かいました。
http://www.okidentt.com/nezu/newsno12.doc


で突然だが、佐藤一斎の言葉をここで引用しておきたい。

学は立志より要なるはなし。而して立志もまたこれを強ふるに非ず。只だ本心の好む所に従ふのみ。
p68『佐藤一斎 − 克己の思想』isbn:9784062787512

一斎は西郷隆盛が私淑していたことで知られる幕末の儒者である。急進的志士たちよりすこし年長であるがそれだけでなく、林家の塾長としてつまり体制内存在として長く生きた保守派である。上に書いた「自分一個の志を立てる」ということは、彼にとって建前ではなく、彼の学のαにしてオメガ、最重要な信念であった。
「「組織人として・・・・・上司の考えですから・・・・・・」のみを繰り返すばかり」という上記の教頭先生の態度をどう評価するかという問題ですが、一斎的な感覚からすればそれはありえないのではないか。上司や組織がどうあろうが、およそ教育者たるもの、自己と天を貫く<善にして一なるもの>によってのみ判断し生きていくべきものだと彼なら言うだろう。
不幸にして何が正義か、についてわれわれはしばしば一致しない。しかし、「組織人として・・・・・上司の考えですから・・・・・・」とかのぐずぐずの態度は、苦しくとも正義を貫いて生きるという道徳から遠く離れた生き方と言えよう。短く言えば奴隷的道徳。
組織や上司ではなく、自己の志を激しく追い求めることを教えた一斎は、維新から近代国家建設に影響力を及ぼした。一方「上巻の命令は朕の命令」なんてばかなことを言っていた昭和帝国は派手に戦争し敗北した。
市民を萎縮させ奴隷にしようとする道徳は国家のためにならないのは明らかであろう。