松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

kurahitoさんへ(1月3日)

id:kurahitoさんへ
RESが遅れて失礼しました。読みかえすとだいぶ前の時点からよくわからない文章が多かったので、ついでに質問させてください。


言っておいた方がよかったかもしれないことは次のことです。
あなたの支持政党はどこですか?という問については回答拒否するのが正しい態度だ、とわたしはわりと思っているということです。政党や選挙を否定しませんが政治というのは本来別の回路で開かれうるとわたしは思っています。一方、イラク派兵の賛否に対しては回答拒否する権利はないんじゃないかな。

そして無数の語る主体の声を響かせ、おびただしい数の体験をして語らせねばならないのです。語る主体がいつでも同じ人間であってはいけない。哲学の規範的な言葉ばかりが響いてはならない。
M.フーコーフーコー・コレクション5 性・真理』筑摩書房、2006年、pp.101-102
http://d.hatena.ne.jp/knot/20071230#p2

これは大阪での無届デモ?の報告と共に置かれているフレーズなので、フーコーの真意はともかくわたしは好意的に受け取っています。
kurahitoさんはこうしたフレーズが好きなのかもしれませんね。同じフーコーの文章でも、フーコーにとってはある露骨で平板なスローガンを掲げたデモと不可分であったものを、kurahitoさんはそうした情況に対する潔癖さにおいて読み取っているのではないか、というのがわたしの疑問です。上記のブログやそれを取り巻く情況について無知ですので一般論として受け取ってください。確認しておくとわたしが気になっているのは、次の文章です。

 まず、態度の保留についてですが、発話の正当性を担保するために、発話行為の主体である「私」がどのような考えを抱いているかを示さないことは、プライバシーの権利でもあり、良心の自由と発話行為の主体である「私」の匿名性を確保し、自由な討論を確保するために欠かせないものだと考えます。kurahito

1.>「どのような考えを抱いているかを示さない」
発話行為の主体である「私」」がです。発話の主体である私に「私」という実体を求められては困るということです。

kuhahitoとあなたの本体といったものの二つを、切り離すといった意図ではないのですね?
発話の主体である私は、統御された近代的主体ではない、ドゥルーズ的多数性でありたいみたいな意味ですか?

2. >あなたとわたしの間で形成し得るのか?
それは残念ながら興味がありません。ホモサケルのことを思うと同時にWebを思い浮べてしまいますから。

何かの同意を獲得するためでなければ、何のためにこのやりとりを続けているのですか?
「ホモサケルのことを思うと同時にWebを思い浮べてしま」うってどういうことですか?

3.>男性ならば勲章になるようなことが攻撃材料となるという、絵に描いたようなダブルスタンダードです。

あなたの友人がそのような攻撃をしてあなたがそれを納得できず何か言ったときに、彼/女がその発言について「黙秘権」行使した場合、その権利を認めるのですか

4.私は(略)イラク開戦に反対しませんでした。

おそらく倫理をめぐる思考は常にここから出発します。儒教でもキリスト教でも。しかるに戦後左翼の多数派はどこかに倫理的にイノセントなモデルがありわたしも(暗黙のうちに)そうだという前提で、パウリ檻な倫理的優位を前提として語りかけることを常としました。しかしここではあなたの主張を問い質すことはわたしの倫理的アプリオリをあなたが承認することにはつながりません。

5.とはいえ米軍による人権侵害の方が、恐らく甚だしいのでしょう。しかしまた既に米軍が行っているところの人権侵害について知ることは、恐らく私を切裂きます。若造だった私は(今も若造ですが)イラク開戦に反対しませんでした。形式的にでも反対しなかったことからくる過剰な有責性に襲われたくないのです。そんなわけで曖昧な応答を続けているのです。

米軍による人権侵害の方が、甚だしいかどうかなどピント外れの問ですね。米軍による人権侵害があったとすれば、米軍がそこにいる根拠が少しずつゆらぐはずですね。
「わたしは有責性に襲われたくない」という心情を肯定するというのは、いわゆるアウシュビッツへの傾斜を全否定しなければならないというヨーロッパの政治原理の否定になると思います。後者にも批判的ですか?
長くなって失礼しました。


(ところでこの日を編集するとTBが大量に飛んでしまうな。というかすでに飛んでしまった、たぶん。すみません。1月3日20時30分)