松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

明日は六十八回目の殉国先烈記念日だ。

明日は六十八回目の殉国先烈記念日だ。ところで果して国民のどの位が殉国先烈がどんな方々なのか、この日が何をする日なのか分かっているのだろうか。

現行<独立有功者礼遇に関する法律>によれば、殉国先烈と言うのは「日帝の国権侵奪前後から1945年8月14日まで国内外で日帝の国権侵奪に反対したり、独立運動をしようと抵抗して殉国した者であり、その功労により建国勳章・建国褒章または大統領表彰を受けた者」と定義している。祖国光復のためにすべてのものを捧げて闘争し、壮烈に殉国した老人らが殉国先烈だ。

国が危難や外侵にあった時、本人の命は勿論、愛する家族があわねばならない苦痛と家門の没落を耐えなくては誰も独立運動に携われない。「自分がもし日本強占期に生まれたら、果して命を捨てる心構えで独立運動に身を投げることができただろうか」と自問してみたが、恥ずかしくも自信はない。

このように先烈たちの独立闘争は簡単にできることではなく、熱い祖国愛を土台にした自発的で正義のある抗争だったから、もっと価値があるのではないかと思う。1895年から1945年まで50年の間、殉国した先烈は記録上9万6000余人とされているが、これはあくまでも文献上の数値であり、実際に殉国した先烈は30万人をずっと越えると推定される。

肉をえぐる寒い冬に果てしない広野を走って侵略者を退け、義烈闘争で敵を戒めたし、素手で時の銃剣に対立して祖国の独立を叫んで壮烈に殉国した方々、不幸にも敵につかまり様々な悪刑にも死ぬまで変わらなかった殉国先烈たちの血と汗と涙で今日の私たちは存在しているのだ。(中略)日本は1875年江華島に侵入して良民を虐殺してから敗戦で逃げだしながら行った蛮行に至るまで、70年間あらゆる搾取をほしいままにした。

一言で日本は20世紀になる前に我が国を植民地にして収奪して侵略と虐殺を通じ、洗うことができない傷を残した国家的犯罪集団だった。日帝はこの期間に私たちの同胞の婚姻、言葉と文を奪っただけでなく私たちのすべてのものを奪った。もっと憂慮する問題はこのような侵略行為が終わらないで現在進行形でもっと加速化、露骨化しているという点だ。

しかし加害国である日本は歴史的な事実を隠蔽したままろくな謝罪一言もなしに植民支配がむしろ我が国の経済の発展を促進させたという妄言で私たちの腹を立たせる。(中略=独島と慰安婦の話)恥辱の歴史を憶えることができない国民はその歴史の罠にかかって、もっと大きな悲劇に直面するかもしれない素因を抱いているのだ。

政府が殉国先烈の日を制定して先烈たちの功績を後世の見習うべきことにして、これを称える理由も祖国光復が殉国先烈を含めた名もなき愛国志士の血が流れることで成り立ち、国が存在しているということがどれほど大事だということを思い出させてくれることにある。最近、狂気に近い傲慢で周辺国を軽んずる日本を注視し、殉国先烈の日が今日の私たちに投げてくれる無言のメッセージが何なのかもう一度考えて見なければならないだろう。

/ソ・ジョンオク(馬山報道支社報道課長)

ソース:(韓国語)[発言台]17日は殉国先烈の日
http://d.hatena.ne.jp/olin/20071117