松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

瞬間から〈金(きん)〉を取り出すこと

時計( L’Horloge )*1


「時計」! 不吉な、恐ろしい、無慈悲な神だ、
その指がわれらをおびやかしてはこう語る。 《忘れるな!
わななく「苦痛」が 恐怖でいっぱいのおまえの心に
もうすぐ突き刺さるぞ 標的を射抜くように。


「快楽」は雲を霞と地平の果てに逃げ去るぞ
舞台の裏に消えて行く風の精さながらに
刻一刻がおまえから喜びを一切れずつ食いちぎるのだ
人それぞれに花の盛りの間中許されている喜びを。


1時間に3600回、「秒」がささやく、
忘れるな! と。−−素早く、虫の鳴くような
声で、「現在」が言う、私は「過去」だ、
私のけがれた吻管(ふんかん)でおまえのいのちを吸い取った! と。


思い出せ! 忘れるなよ、浪費家め! 思い出すのだ!
(わが金属製ののどは あらゆる国語を話すのだから)
一分ごとが、死ぬべき定めののらくら者め、鉱石なのだ
その中の黄金を採り出さぬまま手放すことは許されぬ!


(後略 4行×2連)》*2
ボードレール


フーコーの短いエッセイにボードレールが出てきたので、何十年も前に買ったまま読んでいない『悪の華』を取り出して、パラパラめくってみた。安藤元雄訳だ*3
「時計」という詩が目に留まった。
苦痛を否定し快楽を肯定している。しかし、苦痛や死の絶対的かつ神学的な勝利の不可避性が強調されており、基調ははなはだ重苦しい。
「一分ごとが、鉱石なのだ その中の黄金を採り出さぬまま手放すことは許されぬ!」というのが、中心的メッセージであろう。しかし何という「快楽主義」!
〈金(きん)〉即ち〈快楽〉を手に入れるためには、人はおそらく神学的修練を積み、時間に対して錬金術を施す必要があるのだ。


フーコーの「現在の瞬間の裡に、「英雄的な」ものを掴むこと」というフレーズの意味を理解するのに、必要な補助線だ、という気もしたので引用してみた。


追記:
http://www.litterature.jp/baudelaire/mon-etude_5.html
L'Invitation @ Baudelaire 廣田大地のボードレール研究
では、この六連詩 「時計」の1、3、6連が廣田氏自身の訳で引用されている。

廣田氏作成のリンク集より
http://www.litterature.jp/baudelaire/link.html
Perte de temps(仏語) 
http://www.perte-de-temps.com/lhorloge.htm
ボードレールの韻文詩「大時計」をもとにしたCGによる映像。めちゃめちゃカッコいい。」確かに。


http://homepage2.nifty.com./yamadakenji/france2.htm
ボードレールの、瞬間の美学を理解するためには、この山田兼士氏のサイトにある
「通りすがりの女に À UNE PASSANTE  シャルル・ボードレール」の方が、分かりやすいかもしれない。PASSANTEは、通行人(女性形)。

*1:悪の華」85番

*2:2行目の「忘れるな」以降すべては「時計」のセリフ

*3:集英社「世界文学全集・42」1981年