松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

他者が正面に現れることはない。

(略)他者を与えると同時に隠すような顔との遭遇である。
『引き受けられた』他なるもの−−それが他者なのだ。

と、レヴィナスは言っている(そうだ)。
レヴィナスを読む』p144 isbn:4140018666 C1310
それに対して、メルロ・ポンティは

他者が正面に現れることは決してないということ、この点は十分に認識されているとは言えない

と言っているらしい。(同書p141)

 東京で道端に倒れている人を見ました。通行人がだれも救おうとしないのには、ショックを受けました。助けてもまた戻ってくるからといって手をさしのべないのは、その人の尊厳を奪うことになります。 (マザー・テレサ
http://www.lifestudies.org/jp/ubasute.htm

その人は倒れているのではなく寝ているだけだろう。*1倒れているのか寝ているのかを私は知りうるのか、知るべきなのか。
他者を助ける/論じることのアポリアは、不可能性を乗り越えた後の他者にしか出会えないということだ。
アポリアが消去されてからしか議論は成立しない。

 *2

*1:かもしれない

*2:現在進行中らしい姥捨て山議論は読めていないので参加できない。