「女を売る」のは男の甲斐性だ。?
えーと話は、ある暑い暑い日の神戸で始まる。
岡山テツとかいうしがない(神戸の港の)ヤクザが語り手。
若い頃どこからみてもつまらない後輩に対して、お前 が出世したら、神戸の街を逆さまになって歩いてやるとか言って馬鹿にしたりするとひどい目に遭うことがある。事件を起こして上海に逃げた梅公をしってるか。“メリケン粉の兄貴みたいな”こまかい奴だ*1。それが先日、りゅうとした身なりで店先に現れた。上海で淫売屋をやって大もうけした。だけど女たちはすぐに梅毒で鼻が欠けたり使い物にならなくなるので淫売を補充しにきた。ついてはその補充を手伝って欲しいというのだ。前金を渡されて大喜びのテツはさっそく人選にかかるが、なかなか適当なのが見つからない。
ある暑い暑い日の神戸、二人の子分を連れて布引の滝に涼みに行こうとしていたテツは途中、榎木の木陰にいる一人の乞食女に目をつける。よく見るとなかなかの上物である。衣装などそろえて売りに出せば150円にはなる。50円を衣装代などにつかうとしても100円の儲けである。テツはさっそく彼女に話しかけてみるとどうやらおなかがすいている*2らしい、さっそく持っていた巻きずしを恵んでやることにする。女もいかにも下心ありそうな男に恵まれるのは嫌だったろうが背に腹はかえられない。・・・
とまだまだ話は続く。
この話の背景は「上海の淫売屋」であり郡慰安所とは言われていない。
それほどの悪人でもないのに、人身売買という犯罪を企てている小悪人が最後には徹底的にばかにされるとはいえ、その息づかいまでわかるほど近距離から描写されており興味深い。
えっとすみません、突然変な話を始めました。広沢瓢右衛門という人の「雪月花三人娘」という浪花節の話です。日本の芸能史の底辺の部分を掘り起こそうとした小沢昭一氏が1975年に出した3枚組CDに入っています。*3
浪花節というものが大衆から忘れ去られようとした最後の一瞬に、浪花節の主流から大きく外れた下品でファンキーな笑いにあふれた広沢瓢右衛門のそれが少しだけ注目を集めたのです。ですからこれは*4基本的に左翼的良心的心情を伴うことの多い「慰安婦」支援言説とは全く違った場所に存在している語りです。
ですから無理に関連づけることはないのですが、いくつかの点で、慰安婦問題特に永井和論文*5と符合する点があったので紹介しておきます。
「1938年1月6日和歌山県田辺警察署は、管下の飲食店街を徘徊する挙動不審の男性3名に、婦女誘拐の容疑ありとして任意同行を求めた。」(http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf#64) という(神戸あるいは大阪から来た)男たちの原像といったものを、岡山テツという描き出された人物に対して感じたのです。でそうした本来ヤクザからも落ちこぼれたような「人買い・人売り」業者と、徳久少佐、荒木貞夫陸軍大将、右翼の大物頭山満などといったトップエリートが共同企画した点に慰安婦制度というもののグロテスクさをまず感じなければならないわけですね。
さて、符号点の2は〈良心はアメリカから〉という点です。これは永井論文ではなくて、今回の出来事が現場であるアジアではなくアメリカの議会から発振したことと符合します。この瓢右衛門の話はかなりとりとめなく話が脱線していくのですが、寿司を食った女乞食は突然崩れ落ちる、どうしたどうしたと騒いでいると、なんと突然破水出産といった出来事になる。路上出産であれば当然へその緒を誰がどうやって切るのかという話しになるかと思うが、ヤクザたちはそんなことは気に掛けず汚水で自分の兵児帯が汚れたのをどうしてくれるといったことだけ気に掛けている。それを見るに見かねて駆け寄ってきた二人の女性。何故かニューヨーク生まれの金髪女性である。*6女性たちは片言でヤマトダマシイを持ち出し女を救ってあげないと!と訴える。・・・
ところで、「近代法の諸原則」!なんてことを言って得意になっている人がいるが、ここでの岡山テツの振舞いは「近代法の原則」にはそったものだ。彼の私有財産が血まみれの後産で汚されることにより存在を受けたのは客観的事実であり損害賠償を求める権利があろう。一方生まれたての赤子を世話すべきというのは道徳的義務に留まり法的義務ではない。そんなことは誰でも分かるが口に出して言うとどうでしょうね?
ところで脱線だが、出産の話が『従軍慰安婦』千田夏光isbn:406183374X のp109にあったのでメモしておこう。
ある日本人軍医はこう言っている。
孫呉でのことです。ある時、朝鮮人慰安婦から、“来てくれ”と言ってきた。(略)
(略)部屋にあがると彼女は、
「これ見てください」
さらりと押し入れの襖(ふすま)を開けたという。そのとたん、
「あっ」
彼は叫んだという。押し入れの中に生後七日ぐらいの赤ン坊スヤスヤ寝ていたのを見たのだったという。
ともかくこの処置をつけなければならない。彼は師団司令部にもどり事情を話したが、ここで言われたのは、
「軍の管轄外のことだ、処置する必要なし」
その一言だけだったという。(同上p111)
岡山テツの方は宣教師婦人に30ドルだかもらう話を付けて産湯を汲みに走るが、孫呉の赤子の行方は報告されていない。