松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

良い日本人もいた。その名は警察署長。

 最後に、符号点の3は〈良い日本人もいた。その名は警察署長。〉という点です。永井さんでは
山形県警察の報告では、 如斯ハ軍部ノ方針トシテハ俄ニ信ジ難キノミナラズ斯ル事案ガ公然流布セラルヽニ於テハ銃後ノ一般民心殊ニ応召家庭ヲ守ル婦女子ノ精神上ニ及ボス悪影響少カラズ更ニ一般婦女身売防止ノ精神ニモ反スルモノ40)」などと書かれていましたね。

瓢右衛門の話はこう続く。丁度白塗り壁のお屋敷があったので産湯にするためのバケツとお湯を求めるが、奥様反応が鈍いでもって、そもそも淫売にしようと目を付けて寿司をくれてやったのに云々と事情をべらべら説明する。日本の娘の苦難に毛唐を煩わすまでもない、と奥様。ところが奥からぬっと出てきたのがいかつい男。いきなり「馬鹿者」と一喝。相生橋の警察署長だったのだ。戸板の用意をして助けに行けということになる。母子を助けた後「上海の梅公に女を売る。人間ひとり売ったらどれだけの罪があるか分かっておるか。きさまらみんな前科があるんだからどう軽う転んでも懲役8、9年。人身売買誘拐未遂。」ときつく説経される。

思うに、なかった派の人たちは、「慰安婦を感情的にもどうしても必要とした兵士たちの悲しい気持ちを一方的に裁断する左翼を嫌悪する」みたいなことをいいたがるが、それは口先だけであり、彼らの身体はつねに「国家の無謬性」だけを志向する薄っぺらで希薄な正義だけで構成されている。
しかしながら少し考えたら分かるように、戦争という人殺しを組織的に行いながらも、そこから一歩はずれたところでは、国家や国家エリートというものは人間として良識的に(愛や仁という規範にそった)振る舞うことが要請されているのだ。下っ端のヤクザとつるんでいると言うこと自体が嘆かわしい。管理権はすべて自らが持ちながら、あとから追求されたときには経営者は民間だといって言い逃れする。みっともないことこの上ない。