松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

論点:謝罪は済んだのか?

中道右派
私は首相も公式に謝罪しているという認識です。歴代首相の河野談話の継承とお詫びって、そういう意味でしょ?責任は法的責任も道義的責任も履行済みという考えなので、大雑把に言えば、責任はもう履行しました、事実誤認の部分は修正します、というスタンスでいいと思います。何も責任をとりませんと言ってるととるのは、あまりにも事実の経緯に無知な故か傲慢さ故でしょうね。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070310#c1173958801

彼女たちの望みはささやかなものです。日本政府がこの犯罪に対する完全な歴史的責任を、認め、謝罪し、受け入れることなのです。
本日、私は、日本に対し第二次大戦中にその帝国軍の下で慰安婦が耐え忍んだ悲劇について、正式に、かつ曖昧さのない形で、謝罪し、認めるよう求める決議を提案いたします。
日本国の総理大臣が公式謝罪を発表すべきであるばかりでなく、日本が、曖昧さのない形で責任をとらなければなりません。
http://www.wam-peace.org/main/modules/news/dl/070131honda.pdf
慰安婦決議に関するホンダ議員の議会記録声明 2007 年1月31 日

河野談話は「曖昧さのある謝罪」だった。
「責任はないが(かわいそうだから)謝罪する」という“なかった派”風の読み方も出来無くない点で。
その点の曖昧さは許せないというのがホンダ声明の意図。それに対し、安倍首相はずばり「責任はないが(かわいそうだから)謝罪する」と明確に回答したと言える。
安倍首相の「河野談話の継承とお詫び」がホンダ声明の求める責任の承認から外れたものであるのは明らかだ。