松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

主上

主上(しゅしょう 又はしゅじょう)は平家物語などによく出てくる天皇の尊称ですね。英語のbossのようなものか。
人格的でありながら形而上学的雰囲気もしっかり漂わせてなかなか良い言葉ではないでしょうか。
慈円の場合を見ても分かることは、主上は人格的、対面的身体としてそこにあったのだということ。したがって当然、主上という言葉が威力を持つ範囲は都という狭い範囲でしかなかった。いわゆる国民国家との差異がここにあります。
「保守派」がとなえる伝統云々はこのような言葉に孕まれた感覚の差異をむりやり平板化するものであり、歴史という教養の否定です。