松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

神に関してデカルトが何よりも先に考えたこと

しかしながら、絶対に人を欺く精神を仮定するところまで敢然として進んだ、あの最初の段階においては、以上のことはいっそう顕著であって、そこでは精神の全能力が決定的に吟味されるのである。(略)ついに精神は懐疑、疑いえざる懐疑、以外に何の働きも手段も持たぬものとして、自己の前に自己をあらわにする。
「もし神が私を欺くならば、私は存在する」、これこそ神に関して彼が何よりも先に考えたことである。このことを注意するのは、神が自分を欺くかも知れぬという、こうした思想を抱くことが些細なことではないからである。(略)
アラン『デカルト』p23 isbn:4622049279

 デカルトが日本人に分かりにくいのは、彼がある奇妙なやり方でスコラ哲学をすり抜けたといった事情である。スコラ哲学において「わたし」というのは神の劣化コピーとして存在を許される。それをほんの少し意味を強めて、神より劣ったでもある種のライバルとして「私」を位置づけたのがデカルトの独創であっただろう。*1
(10/20夜)

*1:なんか分かったようなことを書いていますがはったりですから・・・