松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ゆく末たのもしからずおぼしめす

ゆく末たのもしからずおぼしめすはいかに。

というのは平家物語の巻7「主上都落」。主上安徳天皇)が平家とともに都落するならついていくしかないかと旅支度して家を出た摂政殿(藤原基通)の牛車の前を、「びんづら結ひたる童子」がつっと走りとおる。春日明神の化身である。次の歌を残して消える。

いかにせん藤のすゑ葉のかれゆくを ただ春の日にまかせてや見ん

平家について行けとも行くなとも言っていない。しかし何かを告げるためにわざわざ神が降臨されたわけである。
摂政が「将来は頼もしくなく思われるがどうか」とお供の者に告げると、お供の者は御牛飼いに目配せする、牛飼いもすぐに察して御車を返す。それからはもう「とぶが如く」に走る。
という話しである。(あたりまえの話だが、「都落」には摂政だけでなくお供の者も牛飼いも不安を感じていた、その一瞬の不安の伝導といったものがよく出ているのが面白い。)
で、教育改革と憲法改正安倍内閣のゆく末を頼もしく思っている人などいるのだろうか? というのが言いたいこと。