松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「農本有理」

http://mystorage.seesaa.net/article/23542687.html 農本有理: みんなで安倍晋三総理の農本政策を応援しよう! 経由
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20060910/p1 経由

 いやー、これにはびっくりした。何なんだこれは??

     農本有理
安部晋三総理の「徴農政策」を支持して
若者を農村で強制労働させ 美しい日本を実現しよう!

稲田議員という代議士*1の主張をポスターにしたものらしい。

私がびっくりしたのは下の政策ではなく、「農本有理」という四字である。
これは明らかに「造反有理」という言葉と「農本主義」という言葉を組み合わせたものだ。

造反有理(ぞうはんゆうり)とは、「謀反には理由がある」を意味する中国語。「革命無罪」と並び中華人民共和国文化大革命紅衛兵が掲げたスローガン。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A0%E5%8F%8D%E6%9C%89%E7%90%86 造反有理

「謀反には」という翻訳はオーソドックスなものなのかもしれない。*2ただ紅衛兵は政権を覆すことをこころざしていたわけではないので「反逆」くらいの軽い意味だったのかもしれない。わたしは最近「理」を核心とする朱子学などをすこしだけかじってみたが、「造反有理」が単なる過激派の浮ついたスローガンなどではなく中国の「理」の思想史に根付いた言葉であることが少し分かったような気がする。

農本主義 のうほんしゅぎ
 農業・農民・農村を過度に重視し,しばしばそれを社会体制の基軸とすることをめざす思想ないし運動。(略)
930〜31年(昭和5〜6)の農村危機を核とする大恐慌期に際し,国家主義(運動)・自治主義(運動)という形をとって,一つの大きな流れを形づくった。機械文明・資本主義経済・都市そのもの全般・中央集権制,ひいて西欧近代一般,などに反対することが,その特徴的な主張傾向である。代表的な人物としては,石川三四郎加藤一夫橘孝三郎権藤成卿などがいる。
http://www.tabiken.com/history/doc/O/O163R100.HTM 農本主義

ついでにちょっと権藤成卿もコピペしておこう。

権藤成卿 ごんどうせいきょう
 1868〜1937(明治1〜昭和12) 昭和初期の社会思想家。本名善太郎。カン※注1※子またはカン※注1※々子と号す。久留米藩藩医の家に生まれ,二松学舎中退。同郷人で明治期の著名な朝鮮浪人として,日本の韓国併合に裏面で活躍した禅僧の武田範之とともに,黒竜会が日韓両国対等の連邦を目指した民間運動,いわゆる〈日韓合邦運動〉にブレインの一員として参画。第一次世界大戦後の世情変化に対応して“自治学会”を組織し,論策『自治民範』を発表。また“老壮会”にも参加。明治国家体制に対する批判を軸に,社稷(しゃしょく)・自治の概念を歴史的記述によって展開させた独特の国家論は,いわゆる家学“制度学”と結びつけられて論じられたが,“制度学”は家学の名によって自らの思想を権威づけ,当局の弾圧から護るための便法であった。社稷中心の農村自治を説く権藤の思想は,昭和初期の無産・農民運動や国家主義運動に幅広い影響を与えた。

自治学会こそは権藤が主宰する権藤独自の結社であった。そこでは「社稷国家の自立」が叫ばれ、明治絶対国家主義が徹底して批判された。社稷とは、土の神の社、五穀の神の稷を併せて言葉で、古代中国の社稷封建制に由来する共済共存の共同体の単位のことをいう。日本の歴史のなかの例では「郷」にあたるだろうか。「社稷は国民衣食住の大源であり、もって国民道徳の大源である」と、権藤の『皇民自治本義』にはうたわれている。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0093.html
松岡正剛の千夜千冊『権藤成卿』滝沢誠

引用が長く成ったが結局、農本主義の思想的核心は「社稷」という謎めいた言葉にあった、と言って良いのだ。
でそれは「明治絶対国家主義を徹底して批判する」ものとしてあったのだ。
すなわち私が言いたいことは、昭和の超国家主義をみんな舐めているがそんなものではない。思想的にも、アナキズムマルクス主義などすべてを取り込んだまさに怪物的な思想体系だったのだということを知らなければならない。
 でわたしたちがこれから本格的な“ファシズム”を迎えるのだとすれば、その最初の徴候はこの「農本有理」というあまりにも軽い悪趣味なコピーの出現にあった・・・
と後世の歴史家は言うかもしれない。

*1:私は知りませんでした。スミマセン

*2:中国は易性革命の文化ですから