松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

名誉毀損?

一。日本国民に告ぐ

 私は曽って新聞紙上に向井利明と百人斬競争をやったと云われる野田毅であります。自らの恥を申し上げて面目ありませんが冗談話をして虚報の武勇伝を以て世の中をお騒がせし申し上げた事につき衷心よりお詫び申上げます。「馬鹿野郎」と罵倒嘲笑されても甘受致します。

 只、今般中国の裁判に於て俘虜住民を虐殺し南京屠殺に関係ありと判定させられましたことに就ては私は断乎無実を叫ぶものであります。

 再言します。私は南京に於て百人斬の屠殺をやったことはありません。此の点日本国民はどうか私を信じて頂きます。

 たとい私は死刑を執行されてもかまいません。微々たる野田毅の生命一個位い日本にとっては問題でありません。然し問題が一つ残ります。日本国民が胸中に怨みを残すことです。それは断じていけません。私の死を以て今後中日間の怨みや讐(あだ)や仇(かたき)を絶対にやめて頂きたいのです。

 東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様な馬鹿げたことのいけないことは常識を以てしても解ります。

 今後は恩讐を越えて誠心を以て中国と手を取り、東洋平和否世界平和に邁進して頂きたいです。

 中国人も人間であり東洋人です。我々日本人が至誠を以てするなら中国人にも解らない筈はありません。

 至誠神に通じると申します。同じ東洋人たる日本人の血の叫びは必ず通じます。

 西郷さんは「敬天愛人」と申しました。何卒中国を愛して頂きます。

 愛と至誠には国境はありません。中国より死刑を宣告された私自身が身を捨てて中日提携の楔となり東洋平和の人柱となり、何等中国に対して恨みを抱かないと云う大愛の心境に到達し得た事を以て日本国民も之を諒とせられ、私の死を意義あらしめる様にして頂きたいのです。

 猜疑あるところに必ず戦争を誘発致します。幸い日本は武器を捨てました。武器は平和の道具でなかった事は日本に敗戦を以て神が教示されたのです。

 日本は世界平和の大道を進まんとするなら武器による戦争以外の道を自ら発見し求めねばなりません。此れこそ今後日本に残された重大なる課題であります。それは何でしょうか。根本精神は「愛」と「至誠」です。

 此の二つの言葉を日本国民への花むけとしてお贈り致しまして私のお詫びとお別れの言葉と致します。

 桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。

(月刊WiLL 8月号 P.220〜P221より抜粋)
野田毅
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060808/1155021588 より孫引きさせていただきました。

 わたしのような人が侮蔑するべき日本軍人の一人だと思っているだろうところの野田毅氏の文章断片が某ブログに載っていた。
「  桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。さらば日本国民よ。日本男児の血の叫びを聞け。」へえ、お前のどこが日本男児だと思いながら読んでみよう。
「  東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様な馬鹿げたことのいけないことは常識を以てしても解ります。」さすが野田さんですね、独力でイスラエルレトリックを構築しています!
謹んで聞かせていただきましたが、あなたに対して侮蔑感しかいだきませんでした。以上
「東洋の隣国がお互いに血を以て血を洗うが様な馬鹿げたことのいけないことは常識を以てしても解ります。」「常識を以て」はどうか分からないが、当時(戦争に負ける前)日本が掲げたスローガン、「東洋平和や五族協和からして「馬鹿げたこと」と否定されるべきだということは軍人でも分かる。従って戦争に終わって問われるべきことは「日本兵はおもしろ半分に中国人を殺した」「日本兵はおもしろ半分に中国人をレイプした」という圧倒的な事実があったか無かったか?ということである。わたしはそうは思わないが「野田毅が百人斬をやった」という命題は正しくない可能性があるのかもしれない。だけれども日本軍が十年以上にわたって中国大陸で行った活動をどう総括するのか。「日本兵はおもしろ半分に中国人を殺した」「日本兵はおもしろ半分に中国人をレイプした」という事実があった*1。21世紀の私たちにとっては遠い関係ない世界の出来事であり、あったとは信じたくないから信じられない出来事であったとしても。
「桜の愛、富士山の至誠、日本よ覚醒せよ。」野田氏は何をメッセージしたいのかな? 平和に覚醒せよというのなら、まず自らの罪を確認すべきでしょう。自らに罪がないと歴史を偽造した上で自分の名誉だけを守りたいみたいですけど、歴史の偽造は(日中戦争においても行われた事実の偽造と同じく)日本人に大きな不利益を与えるので止めていただきたい。


「 とても深い感銘を与える文章だと思いました。」「この手記の切実なる平和希求の精神」と木走氏という方は、野田氏の文章を評しているのだが、ふむ。どうしたものかねえ。
「野田元少尉が戦後1948年1月28日に南京郊外の雨花台で銃殺処刑される」という事実に対し、わたしは戦後をのほほんと生きてきただけだから迫力ではまける。でも迫力以外では負けているとは思っていない。

*1:何万件も、何十万件も?