万人の平等と万国の同権
私的義侠心がどうして万人、万国の同権を保証するのか。この一見逆説的な関連を成り立たしめる一定の条件とは、それでは何か。強者の圧迫の前に「衰勢」「廃亡」の逆境に立たされているという事情の存在こそがその一定の条件に他ならない。強大なる力の下に「衰退」の止むなきに至っている「弱者」・「小国」・「小藩」などが、譲るべからざる自尊心をもし発揮しないならば、どうして万人の間の同権性と万国の間の平等性という理念が具体的に此の世に現前するであろうか。そうして、そのような「衰勢」に在るものに対して共感と義侠の念を持つことができない者が、どうして万人の平等と万国の同権を口にすることが出来るであろうか。かくして「私情」としての義侠心は、一定の条件においては最も具体的に普遍的「公道」と「真なる価値」とを保証する道なのである。そうした国際的逆境の下にあった明治日本の「立国の大本」はこうした「一片の義心」の集積にこそ依拠すべきであった。もしその「義心」の集積が確固不動のものとして実現しているならば、他日「立国」事業に成功して弱小国の位置を脱した場合にも決して大国の自惚れや飽くなき膨張主義に陥ることはない筈である。なぜなら、其処には最も具体的な形で普遍的な同権性の理念を担う精神的基盤が社会全体の中に確保されているからである。福沢自身がその他日の可能性までもを論じていたわけではむろんないが、しかし彼が説いたところの、「逆境」という条件に媒介されている場合にだけ生まれる「私的義心」と「普遍的公道」との結びつきの重要さは、疑うべくもなく、その主張の延長線上に今述べた他日の可能性までを含意しうるものであった。
p139 藤田省三『精神史的考察』
突然長い引用をします。藤田省三の「ある歴史的変質の時代」という初出1978年の文章より。現在、平凡社ライブラリ (ISBN:458276469X)
この文章はいわゆる明治時代はどういう時代だったのかという問いに答えようとしたものだ。明治時代とはいうまでもなく「立国の時代」である。「列強に対する「独立国家」を作るという目標が、如何に大目標として当時の社会全体のあらゆる要素の中に行き渡っていたか」。いまでは分かりにくくなっているだろうが藤田が言っているのだからそういうことがあったのだろう。でそうした「独立国家を作る」というエトスのうち、思想として最大の可能性を持ったものとして藤田が取り上げるのが、福沢諭吉である。(福沢は国権論/民権論を熱く語る壮士的エトスに比してクールなのが特徴なのであるが。)それを取り上げているのが上の引用である。
すなわち、「そのような「衰勢」に在るものに対して共感と義侠の念を持つことができない者」を激しく否定するのが私たちの“立国の大義”だった。
小林よしのりを含めた現在の右翼は、この“立国の大義”を復活させることを志すのではなく、「大虐殺はなかった〜A級戦犯は悪くない」などとトンチンカンなことを叫んでいるのはどうしたわけか。
イスラエルのレバノン侵攻に大声で抗議するためには、わたしたちはわが日本の立国の大義をほんの少し思い出しさえすれば十分だ。
(8/12記)