松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

将門を名づけて新皇と曰ふ。

一説には940年、反乱平定の数ヶ月後に書かれたという『将門記』というのを読んでみた。
原文は、

http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/masakado/masakado.htm
夫聞,彼將門者,天國押撥御宇柏原天皇.桓武.五代之苗裔,三世高望王之孫也.

という感じで漢字ばかりである。
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/furu_index1.htm
それにしても将門記ばかりではない、『久遠の絆』さま*1のこのテキスト化の成果はすごいなあと思うばかりです。

聞くところによれば、かの将門は昔の「天国押撥御宇(あめくにおしはるきあめのしたしろしめす)」柏原(桓武天皇五代の後裔であり、三世高望王の孫である。
http://hanran.tripod.com/japan/masakado11a.html

現代語訳も別の方が提供してくださっている。
桓武天皇五代の後裔とか言われてもピンときません。

下総の猿島茨城県)に、独立国を立ち上げようとした地方の武士。916〜940。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%BF%BE%AD%CC%E7

はてなキーワードではこうなっています。が「独立国を立ち上げようとした」というのはだいぶ違うように思います。

大日本史には叛臣伝に出されて、日本はじまつて以来の不埒者(ふらちもの)に扱はれてゐるが、ほんとに悪(にく)むべき窺(きゆ)の心をいだいたものであらうか。それとも勢(いきほひ)に駆られ情に激して、水は静かなれども風之を狂はせば巨浪怒つて騰(あが)つて天を拍(う)つに至つたのだらうか。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/files/3199_15048.html

露伴が言っている後者の方が当たっていたのでないか。なんといっても文書資料はほとんど『将門記』しかのこっていないのである。

 於時,有一昌伎云者,(昌伎,平譯作娼妓.然此訓かむなぎ,巫女也).囋:「八幡大菩薩使.奉授朕位於蔭子平將門.其位記,左大臣正二位菅原朝臣靈魂表者,右八幡大菩薩,起八萬軍,奉授朕位.今,須以卅二相音樂,早可奉迎之.囋,本心旁贊字.」爰將門捧頂再拜.況四陣舉而立歡,數千併伏拜.又武藏權守并常陸藤原玄茂等,為其時宰人,喜絓譬若貧人之得富,美咲宛如蓮華之開敷.
 於斯,自制奏諡號,將門名曰-新皇.
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/masakado/masakado02.htm#ma16

ある田舎の巫女(あるいは娼妓)が神がかって口走ったまでである「新皇」と。『将門記』は確かに後世に残ったが、作者も不詳で信頼性は高いとは言えない。であるにもかかわらず将門はこの「新皇」の二字のスキャンダル性の輝きにおいて1100年の時を越えた。将門程度の反乱など日本にもいくらもあったものであり特段の記憶にも値しないであろう。
「新皇」の二字のスキャンダル性だけが値打ちであるわけだ。これももちろん「万世一系天皇」というイデオロギーから強く反照されているから輝いているだけ、であるわけである。


保元物語平治物語の両者ともストーリーも文体も優れていて万人にお勧めできます。『将門記』にはそういった長所は少ないのですが、でも興味深い文章だと思います。わたしは小学館 新編日本古典文学全集41 isbn:4096580414 で読みました。
大岡昇平の『将門記』は(解説として読んでも)完璧。

*1:浦木裕さま