松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

神は、知られざる神である。

 あらゆる神的な存在は神ではない。神は、知られざる神である。さらばこそ、神はすべてのものに生命と気息と一切のものを与える。したがって神は自然力でもなければ、魂の力でもなく、またもっと高い最高の力としてわれわれが知っているもの、あるいは知りうるものの中のどれかでもなく、その最上のものでも、その総体、その源でもない。むしろあらゆる力の危機であり、全く別種のものである。

 いかなる「キリスト教的」なものももしそれが、空洞の代わりに内容、凹面である代わりに凸面、否定である代わりに肯定、窮乏と希望の表現である代わりに所有と存在の表現であろうとするなら、それは救いの使信とは関係がなく、人間的な副業となり、危険な宗教的残滓となり、悲しむべき誤解となるであろう。もしそのようなものであるなら、それはキリストのものからキリスト者のものへ、復活の此岸にあって、自分の中に揺れ動く世界の現実との単なる平和締結、あるいは平和共存的生き方になり、もはや神の力とは何の関わりもなくなってしまうであろう。
(バルト 『ローマ書』第一章「主題」 p43同書より)