松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

関係を否定するわけではない。

 人間は、関係による関係的存在であるから、それらすべてを否定することはできない。
 “家族や国家、会社や名誉、自己”というものが、いつのまにか自乗化され、家族=家族、国家=国家、会社=会社、名誉=名誉、自己=自己という物象化された観念としてわたしを支配している。であるのにわたしたちはそれに気づけない、あるいは気付いても〈放棄〉の側に一歩踏み出すことにはものすごい恐怖があるので踏み出せない。そのことが問題なのだ。
 妻や子どもという関係がすでに所有や権力という物象化されたものに変質しているというのがフェミニズムの告発だった。「東洋を不気味なもの、異質なものとして規定する西洋の姿勢をオリエンタリズムと呼び、批判した」というサイードの本が出てから数十年後、差別の思想と戦略を熟知しているイスラエル国家は、広告の力により「不気味なもの、異質なもの」を大々的に作り上げることに成功した。
 「父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命まで捨てて、わたしのもとへ来るのでなければ、」というフレーズを忘れれば、わたしたちは無自覚な殺人者になると定められているのだ。