松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

わたしは人を殺す。

ニート悪いっ ニー悪いっ みたいな(働かないと駄目、自立しないと駄目、義務を果たさないと駄目、人を殺しては駄目、戦争反対、生きているだけじゃ駄目etc.)
http://d.hatena.ne.jp/rahoraho/20060611

働くこと=戦争 という連想の方が普通なのに、なぜそう書かないんだろう?
 働くことが人を殺すことであったとして、なおかつひとはあるときには働くべきだ。つまり「私が殺す」という可能性は全否定されるべきではないと思う。
 6/9に取り上げたワタダ中尉あるいはその同僚はすでに人を殺している。そのような恒常的殺人をともなう占領を、小泉首相は力強く肯定している。であれば「殺人は悪だ」というお題目を唱えることは、その殺人者をわたしの意識の外に追放することでしかない。
「殺人は秩序維持のために必要だ」「殺人は悪ではない」という論理をわたしたちは承認しているのであり、わたしが殺人者であることは明らかである。
 一方で、「わたしが殺人者であることは明らか」であるということを誰も承認していないからこそ、殺人は継続され続ける。
 最も麗しいもの=エルサレム*1こそが、大量殺人を継続し続けてきた。わたしたちはエルサレムを二度唱えることを止めなければならない。