松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

歓喜踊躍

「かの仏の名号を聞くことを得るありて、歓喜踊躍して乃至いちねんせんには」の句が『無量寿経』にあるそうだ。法然の『選択集』第五段にも引かれているそうだ。つまり一遍の「跳ね踊る」の背後にはこの一節が直接に存在しその思想のヴァリエーションのなかで一遍の歌もあるということである。
 一方「はなばはね踊らばおどれ」というフレーズを、青春とか本能的なものの解放とかいった近代的パラダイムで解釈してしまいがちだ。

髪五尺ときなば水にやわらかき少女(おとめ)ごころは秘めて放たじ
与謝野晶子「乱れ髪」より)

エロティックな歌だがこの歌は「秘めて放たじ」という強い抑圧を伴っていることを見逃してはならない。強い抑圧(キリスト教的な)という枠組みの中でしかやわらかき少女はありえなかった。そのパラダイムは今でも消滅しては居ない。『無量寿経』の歓喜踊躍を一概に馬鹿にはできないのである。