松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

存在の根拠

(v1) 本覚思想と如来蔵思想は我々の存在の根元に悟りや仏性をおきます。
(v2) 仏教では、我々の存在のあり方を縁起によって説明しています。
(v3) その縁起の教えによれば、我々の存在のありようの根元は(支の数が十二でもそれ以下のの場合でも)無明、つまり根元的な迷妄いとされます。
(v4) 無明は仏性や悟りとは対極に位置するものです。
(v5) したがって本覚思想と如来蔵思想は縁起の思想に真っ向から矛盾し、破壊するものです。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/book_review_miyamoto4.html
大乗思想批判:『仏教誕生』、『ブッダ─伝統的釈迦像の虚構と真実─』

 わたしたちの存在の根拠は黒か白か?
黒=無明か白=仏性〜本覚〜真如か?
批判仏教や宮元氏にシンパシーを感じる立場からは当然に前者なわけです。「ヒロヒト非退位〜無罪論」〜「東条英機無罪論」に絶えず傾斜していくイデオロギー=「日本人の思想」に反対していく立場にそれは理論的根拠を与えます。
 朱子学の「理」との食い違いをどう理解するか。朱子の学はもちろん禅宗からの大きな影響を受けて成立したものです。その意味で仏教と水と油ではない。しかし中国の禅宗自体、本覚思想にすでに汚染されているもの、ということに批判仏教の立場からはなるだろう。つまり批判仏教〜の立場からは、中国思想の半分以上と日本思想の99%を否定しなければならなくなる。のではないか?
 

 わたしたちの存在の根拠は無明か仏性か、という問いにはわたしは今答えられません。
しかしとにかく、上記のような厳しい「無明主義」からの批判をいつでも提起できるよう勉強しておくことはおそらく非常に有効なのではないでしょうか。“ずぶずぶの天皇制的なもの”が蔓延しようとしている気がする現在においては。

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