松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

福井県男女共同参画センターが焚書?

noharra2006-05-04

(サンデー世界日報4月30日号より)というのによると、
福井県生活学習館(男女共同参画センターに相当)において次のような事件が起こったらしい。

 こうした中で今年三月、この種の書物、約百五十冊が同センターの書棚から排除されたのである(別表参照)。過激なフェミニスト上野千鶴子・東大教授の本では、『スカートの下の劇場』など十冊が排除本とされた。
http://www.worldtimes.co.jp/wtop/education/060428/02.html

 近藤推進員は、家族解体まで目指す本を県の予算で運営する生活学習館に置くのは理解できないとして、福井県男女共同参画条例の第九条に基づき、昨年十一月、西川一誠知事あてに苦情申出書を提出。同書を含め幾つかの過激な図書の排除を要請した。(同上)

近藤推進員という人が知事宛に苦情を出したのが発端。

もちろん排除は不当であり、強く抗議していくべきだと思う。

ただ根拠として、「図書館の中立性」というものを立てるのかどうか?
男女共同参画センターにフェミニズム系の本が置いてあるのは当たり前だと、わたしは思っている。フェミニズムはマイノリティの解放の思想である。「中立性」という思想で擁護するのは困難である。
 部落解放運動というものと深い関わりを持ちながら、設置を勝ち取ってきた「人権会館」といったものと同じようなものだ、だろうか。

とりあえず男女共同参画社会基本法(平成十一年)というものをちょこっと読んでみよう。
第一条は「(前略)男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、男女共同参画社会の形成を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。」となっている。そして「男女共同参画社会の形成」については次のように説明がある。

一 男女共同参画社会の形成  男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。

(社会における制度又は慣行についての配慮)
第四条 男女共同参画社会の形成に当たっては、社会における制度又は慣行が、性別による固定的な役割分担等を反映して、男女の社会における活動の選択に対して中立でない影響を及ぼすことにより、男女共同参画社会の形成を阻害する要因となるおそれがあることにかんがみ、社会における制度又は慣行が男女の社会における活動の選択に対して及ぼす影響をできる限り中立なものとするように配慮されなければならない。

 社会における制度又は慣行が、男女共同参画という目的にてらした場合「中立的でない」ことがある。その場合その「歪み」を是正していかなければならない。と読みとれるが、(たぶん反動派に遠慮して)わかりにくい表現に成っている。
 「上野千鶴子の『スカートの下の劇場』など十冊」の本を含む150冊の本を、「男女共同参画社会の形成」という目的に反すると福井県が事実上認めた、ということだろう。
 福井県は自らの判断をいつまで維持できるかな!?