松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

警察は誰のために存在するのか?

警察の指揮車の放送で、「歩行中のみなさんは、デモに気をとられることなく…」というのがあった。これは思わず耳を疑うフレーズだった。
デモというのは、歩行中のみなさんの注意を引き、足を止めさせ、自分達の訴えたいことをアピールするために、いろんな工夫を凝らしてやるもの。
「気を取られずに」というのは、つまり「デモ隊の主張に耳を貸すな」と言っているのと同じ。こんな露骨な「表現の自由」に対する攻撃があるか? それも、公務員が「あいつらの言っていることに耳を貸すな」というのだから恐れ入る。憲法遵守義務違反で、即刻処分してもらわなければいけない。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/b7d71335989a887902b10553454c2299
薔薇、または陽だまりの猫:サウンドデモの不当弾圧を見る目、聞く耳/YASUDA Yukihiro

経由 http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20060503

 日本は民主主義国家でありその基礎となる民衆の意思表示の一つの方法が、街頭デモである。デモを、自らに敵対する物と考えて疑わない公務員は、自己矛盾的存在に過ぎない*1)。このような警察のあり方を(忙しいからといって)見過ごすことは、全体主義国家の完成である。

ところで、警官隊がデモ隊にワラワラと襲いかかるのを見ていたとき、隣でその様子を見ていた若い女の子たちが、「えーっ、何これ! キモいよ、キモーい!」と叫びあっていた。
「キモい」という単語、本来は「気持ち悪い」という言葉。「キモい」という表現はいろいろ解釈できるのだけど、皮膚感覚的にネガティブな感情を表現するときにつかわれる。「見てはいけないもの」、「恐ろしいもの」、「あってはならないもの」、「汚いもの」…を見てしまったときに発せられる単語である。

何も抵抗していないデモ隊に襲いかかる一群の警官。威圧的な放送と、その放送の指揮で一糸乱れずにぐにゃぐにゃと形を変えながら動く一群の制服警官の群。まるでアメーバが小さな単細胞生物を取り囲んで捕食してしまうような。見るからに「キモい」光景だったと思う。
(同上)

*1:新左翼華やかなりし頃ならそう考えてしまうのも無理はなかったかもしれないが。