松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

志多羅神

【志多羅神】(したらのかみ)
 設楽神とも。みずから宣した童謡に「志多良打てと神は宣まふ」とあり、「したら」は歌舞の際の手拍子のことと考えられる。天慶8年(945)、西国より村継ぎで京都に向かって送られてきた志多羅神の神輿は、次第に群衆の数を膨らませて、一種民衆の示威行為の感があった。摂津国豊島郡・島下郡を経てから、託宣により急遽群衆によって、石清水八幡宮へ運ばれた。
http://www.sonoda-u.ac.jp/private/k25022/yougos103.htm

 で上記の民衆の喪失感覚の表出とも考えられるのが、神の名すらはっきりしない、945年の民衆の騒乱である。