松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

軍閥閻錫山

http://members.at.infoseek.co.jp/noharra/dai.htm
野原の「わたしたちは忘却を達成した」では、上の問題に次のように簡単に触れている。

註6 山西省太原には軍閥閻錫山がおり、それと結んだ旧日本軍の一部(と河本大作など)が戦後も残留して活動していた。一九四九年四月に共産党軍に敗北した。NHとYKはこのとき捕虜となった。ソ連の捕虜にはなっていない。

中国人に対する残虐行為のサンプルを5つ引用しているが、そのうち3つは山西省でのできごとのようだ。

α 中国山西省太原の近くロアン陸軍病院、一九四二年。N中佐が手術演習を告げる。生きている中国人農民が二人用意されている。一人の男が台の上に横たわる。看護婦は男に「麻酔をするから痛くないよ」と中国語で語る。静脈麻酔。男の身体には拷問の痕はない。腰椎穿刺の練習。クロロエチール全身麻酔の練習。虫垂の摘出。上腕の切断。腸の吻合手術。気管切開。心臓に空気を10cc強注入。腰紐で首を閉める。クロロエチール5ccを静脈に注射。呼吸停止。衛生兵が屍体を片付ける。軍医YK氏は夜同僚と酒を飲みに外出する。(p17〜参照、野田正彰『戦争と罪責』、岩波書店、1998年、以下「同書」とはこの本のこと)

γ 一九四三年一月、山西省聞喜県北白石村。村の住民は一カ所に集められる。住民は抗日意識が強いようだ。NHは住民の中から十五人を選ぶ。隠しているはずの武器食料の在処を問うため皆の前で拷問する。一人を殴打。続いて銃床や棍棒で殴らせる。拷問はずっと続く。彼らは何も言わない。彼らを一軒の家に閉じこめる。夕方また拷問。口のなかに銃剣を差し込みかき回す。舌はちぎれ歯も取れる(p195参照、同書)。
δ 上下谷口村。NHは農民三人を赤い房のついた槍で尻を刺して殺した。続いて五人、部下に同様に殺させる(p195参照、同書)。