松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「つもりだった」というレトリック

オスロ交渉でイスラエルパレスチナ建国を認めるつもりだった

「つもりだった」なるほど! ふん。
「つもりだった」とは「おまえが少しおとなしくしていればすべて上手くいったはずなのに、すべてはおまえのせいでだめになった」という責任を相手に押しつけるレトリックにすぎません。わたしは善意に溢れているのに、合意が成立しないはすべておまえの瑕疵のせいだという理屈ですね。
「つもりだった」とはすくなくともその時点では、承認は明示されていないかったことを意味します。

パレスチナにも真意を説明する責任があります。

イスラエルには真意を説明する責任などありません、と。

いろんな情報・意見を提供して一般人のグレーゾーンをどっちの方向に向かわせるかがこの種のサイトの役割じゃないですか?

野原のサイトは残念ながら、「この種のサイト」ではありません。「この種のサイト」って一体なんですか?
それに、「いろんな情報・意見を提供」することが役割なら野原は野原の意見を提供しているわけですね。あなたの言っていることは支離滅裂ですね。

イスラエルパレスチナ国家の存在を認めているのでしょうか?それ抜きにハマスを云々するのは、イスラエルに一方的に荷担したものの見方ですね?

何だか異質な意見を出せばすぐ「オマエはアカか?」と言われた一昔前のようなコメントですね。

「おまえはアカか?」論理を行使しているのはアルファルファさんですよ。「イスラエルパレスチナ国家の存在を認めている」という前提を欠いている。その点に反論できないのなら、ハマス批判には進めませんね。
(3/18記)