松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

イスラエル・アラブへの抑圧

占領地のアラブ人たちとは別にイスラエル国家内にもアラブ人がいることはあまり知られていないかもしれない。

1948年にイスラエルが建国され、その前後の時期に、もともと住んでいたアラブ・パレスチナ人の多くが故郷を追われ難民となりましたが、それでもなおイスラエル領の中に踏みとどまった人びともいました。現在ではイスラエルの総人口670万人の約二割を占める人びとが「アラブ系のイスラエル市民」と呼ばれています。
http://www.onweb.to/palestine/siryo/hayao-druze_dec04.html 
早尾貴紀

彼らは、国籍こそ与えられていますが、原則として徴兵は「免除」されています。この「免除」というのが巧妙で、つまり「国民の義務」を果たしていないということで、それにともなうさまざまな権利を剥奪されているのです(就職や融資や奨学金などで格差をつけられる)。徴兵免除というのは実のところ、シオニズム国家への忠誠を持っていないとみなされるアラブ系市民を国家の側が信用をしていない(つまり彼らに武器を持たせない)ということであると同時に、国内のアラブ社会を永遠に未発達で従属的な地位に押しとどめておく、ということでもあるのです。(同上)

以上がアラブ系イスラエル市民についての一般的説明。
ところで、この文章は、「実はこの前、僕のいとこがイスラエル軍の兵士に射殺された。」と書いたメールが早尾さんのところに来たという衝撃的出来事からはじまる。「いとこ」というのはドルーズだった。
ドルーズとは次のような人々。

 ところが、このイスラエル・アラブの中でも、例外的に徴兵を課されている人びとがいます。それがドルーズです。彼らはイスラームの中でも少数の異端とされていますが、コミュニティの相対的な独立性と経済的な貧しさにつけこまれて、アラブ社会を分断しようとするイスラエル国家によって利用されてしまいました。ドルーズは、1956年に兵役の義務化をイスラエル国家に迫られ、それを受諾せざるをえませんでした。徴兵に応じることで得られる諸権利は、ドルーズの経済的・社会的な地位を改善するための重要なステップとしてみなされたのです。

「いとこ」はパリに留学していたが、兵役を果たすため帰ってきて、

実家の近くにある管轄の軍基地に出頭をしようとした。そのメイン・ゲートに近づいたところで兵士に射殺されたんだ。その兵士は拘束をされ取り調べを受けているけれど、「彼がアラビア語[*1]をしゃべっていたからテロリストだと思った」と話しているらしい。まだ調査中ということで、詳細は知らされていない。


イス側にはアラブ系イスラエル人がいますが、彼らは「イスラエルに残れば惨殺される」という噂に惑わされずにイスラエルに残った人たちです。現在「裏切り者」と箔を付けられてパレの暗殺ターゲットになっています。残った彼らが全員二級市民?と言えば、逆で医師も弁護士などいますしね。(ま・ここっと)

1948年、何が起こったのか?なぜ過半のパレスチナ人は住み慣れた土地を捨て出て行かざるを得なっかったのか?ま・ここっとさんの判断は彼らは「「イスラエルに残れば惨殺される」という噂に惑わされた」ただの馬鹿たちだったというもののようだ。「現在「裏切り者」と箔を付けられてパレの暗殺ターゲットになっています。」という発言については根拠をきびしく問いつめたい。
残った彼らのうちに医師も弁護士などがいることは、彼らが例外を除いて二級市民である可能性と両立する。
上で早尾さんが紹介している殺害の話は、彼らがやはり抑圧された二級市民であることを残念ながら証明してしまっているだろう。
 上のま・ここっと発言は、事実に反する悪質なデマゴギーであると判断するのが普通だとわたしは思います。