松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「教祖発言の著作権」

「教祖発言の著作権」という問題について、
id:FJneo1994さんという方が論じておられる。
http://courtdomino2.courts.go.jp/chizai.nsf/c617a99bb925a29449256795007fb7d1/625e13beec378e3d492570e400204dd9?OpenDocument
という判例にふれつつ。

被告側曰く、
「Bの講演記録は,世界の宝であり,一宗教法人が独断で封印すべきものではない。」ということだが、これが、「著作権は文化の発展に寄与するのか?」という古くて新しい争点を踏まえてなされた主張なのだとしたら、相当に奥深い問題提起であるといえよう。

(略)
だが、そもそも宗教活動における“布教活動”の実質は、“教祖”の講話の内容や執筆成果を世に広めていくことにあると考えられるから、そこに「著作権」という網をかけることは、そもそもの宗教活動の本質と矛盾するのではないか、という問題意識は、どこかにあっても良いのではないかと思う*8。

"*8 もし、被告が原告団体の一会員で、純粋に“創始者の教えを広める”目的で当該販売行為を行っていたのだとすれば、「黙示の許諾」等の構成で反論することも、一応は可能だったのではないかと思う。
http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20051229/1135877661  企業法務戦士の雑感 - 究極の反論

 すでに世界で通用している常識を越えた、メタファーとして神の声といいうるようなもの、を教祖が発していたのであるとすれば、面白い。しかも教祖は死んでいるので、教団を単に利権として相続した者と教祖の宗教性を継承しようとした者とが対立したのかもしれない。あくまで「かも」ですが。


 さて、この文章を引いたのは、わが松下昇発言〜の著作権問題とも重なる問題なので参考にメモしておくことにした次第。松下の場合は、「概念集は1以来、複(素)数性の執筆主体としての刊行委によって作成されてきている*1」など、松下個人の著作権脱構築する旨がいたるところに書き込まれています、ですが、だからといって安心せず緊張関係をどのように開いていくのかという問いとともに生きていきたい。

*1:概念集・5 序文