松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「二項対立批判」とすべての抗議行動

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20060130#p7
さて、上記で「閲覧者」さんに対し侮蔑的引用をしました。
 侮蔑するならするできちんと論点を挙げてしないと、された方も対応に困る、と思われたでしょう。確かにその通りなので、その点について「閲覧者」さんに対し謝罪します。*1
下記に再掲し批判します。

http://www.absoluteweb.jp/ohno/?date=20060124(コメント欄)

わたしのところにこの件に関するメーリングリストが届きました。この件に関するわたしの思いは、大野さまのプログとほぼ同意見でありながらも、署名することはできませんでした。それは石原慎太郎氏の政治的手段と上野先生の手段は同じ形式、つまり仮想敵を創造し、故意的にアジるもしくは論理的矛盾及び弱点を批判するという形式だからです。さらには言えば、石原=男根主義者対上野=フェミニズムという単純な二項対立においては、上野先生が女性の意見の代表/表象するということになります。これではいつまでたってもフェミニズム上野千鶴子という世間的なイメージは終らないでしょう。(略)
閲覧者 (2006-01-26 19:29)

(1)「上野先生の手段は同じ形式、つまり仮想敵を創造し、故意的にアジるもしくは論理的矛盾及び弱点を批判するという形式だからです。」
これは批判に成っているでしょうか。成っていないと思います。
(1−2)
「上野が仮想敵を作った」とは何のことでしょうか?今回の論点は「都教育庁上野千鶴子の講師依頼を拒否した」という法的事実への異議申し立てです。これを仮想ということはできない。
(1−3)
仮装敵は何処にいるのか?
実在の事実に対する抗議は、閲覧者さんの脳内で翻訳される。仮装敵とはそこの登場人物だ。
(1−4)
上野千鶴子東大教授の国分寺市「人権に関する講座」講師の拒否について、これを「言論・思想・学問の自由」への重大な侵害として抗議する」というのが抗議文だ。ここで「言論・思想・学問の自由」を〈大文字化〉する動きが起こっている、と感じたのかもしれない。しかし「抗議」を行うためには必ず何らかの上位審級に訴えることが必要になる。これを否定すれば、全ての「抗議」は不可能になる。
閲覧者さんの思想において、全ての「抗議」は不可能になる。そう言い切れると思うがどうだろう。
(1−5)
上野もしくは若桑は「仮想敵を創造し、故意的にアジるもしくは論理的矛盾及び弱点を批判するという形式」を取っているだろうか。「故意的にアジる」というのは意味不明のフレーズだ。なぜなら故意的でなくアジることなどありえないのだから。閲覧者さんの偏見がにじみ出ているのか。若桑は運動を広げようとしているのだから、「故意的にアジる」のは当然である。「論理的矛盾及び弱点を批判する」というのは批判を行う最も上品な手法である。
したがってこのフレーズの後半は不可避のことを述べているにすぎない。
(1−6)結論として、
上野もしくは若桑が「仮想敵を創造し」ている事実はない。この点について反論があるならどうぞ!
(2)
「石原=男根主義者対上野=フェミニズムという単純な二項対立」について。
二項対立を作ったのは誰か? 契約についてトラブルが起こり、抗議運動が起こった。これは何処の職場でも起こりうる日常的事態である。抗議運動とは当然「敵を名指すこと」から始まる。それを「単純な二項対立」を作る理論的に不十分な奴と閲覧者さんは批判する。
社会に存在する様々な抵抗運動が言説を獲得すること自体に敵対している、ことになる。すべての抵抗運動に敵対する究極の“全体主義賛美”思想である。
(2−2)
閲覧者さんにそこまでの意図はないだろうから、これはわたしの誤読だろうか。しかしそうだとすれば「敵を創造し、故意的にアジるもしくは論理的矛盾及び弱点を批判するという形式」を取らないで、どのような抵抗あるいは抗議ができるのか、是非教えて貰いたいものである。

*1:閲覧者さんの大野ブログへの2番目の書き込みを私は数日遅れて今日読みました。書き捨て的コメントではなかったことを改めて確認することができました。