松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

“当該に成ること”とunlearn

サバルタンの女性という歴史的に沈黙させられてきた主体に(耳を傾けたり、代わって語るというよりは)語りかけるすべを学び知ろうと努めるなかで、
ポストコロニアルの知識人はみずから学び知った女性であることの特権をわざと「忘れ去ってみる(unlearn)」。このようにみずから学び知った特権をわざと忘れ去ってみるということはポストコロニアルの言説をそれが供給しうる最良の道具を用いて批判するすべを学び知るということをこそ意味しているのであって、
(『サバルタンは語ることができるか』p.74)

 大学教授が自ら裁判の被告または原告になることは、“特権を忘れ去る”唯一ではないにしても有力な方法であることは確かだ。