松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

あたしは在る。Ich bin.

「私は在る」:人間精神の働きすべての根底にあって、それよりも高次の何ものによっても基礎づられられず、それ自身の上にのみ基礎づけられるほかない働き
p58 瀬戸一夫『無根拠への挑戦』isbn:4326153547

自我は自己自身を定立し、自我は自己自身による定立というただこのことによって存在する。
しかもこの逆が成り立つ。
自我は存在する、存在するというただそのことにより自己自身を定立する。
フィヒテ)(同上同頁)

 瀬戸氏は、鏡という身近で具体的な例により説明してくれるのでとてもわかりやすい。ただこの場合、定立とは鏡に映すことだとすると、実体ではなく鏡像の方が存在する!のだみたいな感じになるような気もする。
 〈わたし〉というと圧倒的な外界の情報を受動的に受け止めるだけといったイメージに囚われがちだ。そうではなく定立するという純粋な能動性なんである、ということを強調している。
言いかえれば、活動性(tatigkeit)であり、「「行為(Tat)がはじめにあったとすればよい」というゲーテの結論*1とも響きあっている。

*1:12/18