松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

なぜ自決しなかったのか?

nenecoconenecoさんから二つクリップさせてもらいます。感謝。
http://d.hatena.ne.jp/nenecoconeneco/20051102
靖国A級戦犯を合祀した松平永芳宮司について

一方で、後任の故松平永芳宮司は、同じ福井出身の故平泉澄・元東京帝大教授の皇国史観に強く影響されていたといわれる。天皇制の護持を重視し、時の天皇が誤ったら「おいさめしてでも」正しく導く−−−という思想だ。こうした考えは、終戦時に皇居に押し入って玉音放送の録音盤を奪取しようとした反乱軍の兵士にも強い影響を与えたといわれる。「内意」は間違っているのだから、正しくお祭りすることで天皇を「おいさめする」−−−。そうした倒錯した考えが、合祀を進めた松平氏の背景にあった可能性がある。

A級戦犯の合祀がヒロヒトの意志に反することを松平が知りながらなぜ、合祀を強行しえたのか?その論理的根拠の説明である。
2千万以上ともいわれるアジア人の殺害、数百万の日本人の犠牲を仮に神が無視するとしても、戦争を始めた結果日本を焦土にしてしまった責任を、<皇祖皇宗>が問ないはずはない。平泉澄は本当に問わないと考えていたのだろうか。