松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

野暮で馬鹿な国

寄り道ですが、松岡正剛氏が紹介する荻生徂徠の日本観。

 それだけではなく、もともと「儒ノ道」と「侍ノ道」は同じものに近いはずだったろうが、中国には聖人が出て日本には聖人が出なかったから、日本は「侍ノ道」が「武ノ一方」へ偏ったのだとも書いた。そのため、中国のような「詩・書・礼・楽」の高度な「道」が日本に不足して、まるで武士道一辺倒の野暮な国や馬鹿な国になったというのである。 
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1008.html 松岡正剛の千夜千冊『仁斎・徂徠・宣長吉川幸次郎

ここでは、次のようになる。
a.「詩・書・礼・楽」の高度な「道」
b.まるで武士道一辺倒の野暮な国や馬鹿な国
えーと*1

*1:子安宣邦 馬鹿」で検索を掛けてここに来た人がいた。その検索結果から上記の文章を見つけた。