松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ボヤンヒシグ

今日、朝日新聞の夕刊に内モンゴルの詩人ボヤンヒシグのことがでていた。数年前に読んだなと思い、検索してみると00/10/19 07:00付けで引用だけしたのがでてきた。

非日常性

           ボヤンヒシグ

二羽の白い鳩が
小さな部屋の窓に
度々 現われる
その都度 僕のペン先から
一つの危険なコトバが
滴ろうとした

何年かの後
雨が降った

二羽の鳩は黒ずんで
いつしか僕の双眼となり
僕はもう 部屋を出ていた

窓ガラスに裂け目がいくつ
空が痛むほど きれい

部屋は
すべてを知っているかのように
それからずっと空っぽだった

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『懐情の原型』ボヤンヒシグ 英治出版 より

書き留めておきたくなったので書いておきます。

「窓ガラスに裂け目がいくつ/空が痛むほど きれい」という文をどう解釈したらよいのか、分かるわけではないのです。

二羽の白い鳩は恋あるいは愛の象徴であり、「一つの危険なコトバ」というのがそういった言葉なんだとすると解釈は一応つきます。ただ、この作品の持つ異様な緊張感と恋あるいは愛というものとは合わないように思われます。だがそれは日本人の感覚で、異国人(の異国人との)愛の場合はそうではないのか。
そう解釈せず、なぞめいたままにしておいても充分魅力的な詩だと思う。