松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

『海角七号』と懺悔の方法

台湾映画『海角七号』(原題:海角七號)を観た。あらすじ http://www.kaikaku7.jp/

台湾で、「国民的な」といえるほどのヒットになった映画、ということで噂は前から聞いていた。主演女優は日本人で、日中(台)友好がテーマといえる。しかし、そんなふうに構えて行くと肩すかしをくらう。また、宣伝はラブロマンスを期待させるが、映画の作りはそうでもない。*1むしろ、ある事情で急にバンドを組むことになったバラバラの数人が、たった3日ほどでなんとかライブを成功させるまでのドタバタサクセスストーリーである。主演男優范逸臣(ファン・イーチェン)は歌が上手いしかっこいい。十分楽しめる映画だった。

(以下ネタバレ)
1945年の12月台湾南部の港から、敗戦国民になった日本人たちが船に乗って引き上げてくる、その船中のロングショットが何度も劇中にはさまれる。それを見てなんだかみんなブルジョア的だなあみたいな感じがした。つまり1945年といえばヒロシマだけなく日本の都市はすべて丸焼けになっていた。飢餓線上をさまよったあげく捕虜になった兵士たちや満州からの引き揚げ者の悲惨な様子。このようなイメージが無意識のうちに基準になっているので、(沖縄と違って)戦場にならず戦前の生活感覚を維持したまま引き揚げることができた人たちの方が、かえって変わったもののようにブルジョア的に感じられるのだろう。

この映画の背景になっている六十数年前の恋は、wikipediaによれば下記のようなものだ。
「日本統治時代であった1940年代、台湾最南の町恒春に派遣された日本人教師(引揚者)(中孝介)が、日本名小島友子(梁文音)という台湾人の教え子と恋に落ちる。 第二次大戦の日本敗戦の後(1945年)、駆け落ちを約束していた友子を台湾の港に残して、彼はやむを得ず内地に戻る引揚船に乗った。そして、日本への7日間の航海で毎日恋文(こいぶみ)を書き綴ったのだった。」*2

この日本人教師の恋文が、映画の途中でそのつど挟み込まれるのだが、どうもその恋文は、当時の日本人だったらきっとそうだっただろうと思われる甘ったるさに満ち、ナルシスティックな感じがして好きになれなかった。たった一人かけおちの用意をして港に立っている、真っ白なコートに身を包んで、のだから連れていけばいいではないか。*3

「貴族のように傲慢にふるまっていた僕たちは一瞬にして罪人の首かせをかけられた。だが、自分は貧しい一介の教師。どうして僕が民族の罪を背負えよう、時代の宿命は時代の罪」と教師は書く。
確かに一介の教師が民族の罪を背負いきることは、難しい。しかし、教師と友子との間を隔てたのは果たして民族や戦争だろうか。民族や戦争が負わせた隔たりにも関わらず、彼らは愛し合ってしまった。であるなら友子を捨てた罪は、教師がやはり個人として背負うしかないのだ。

この映画のクライマックスはライブステージで2曲の演奏を成功させた後、アンコールに「野ばら」を演奏するところである。「わらべは見たり 野なかの薔薇」というやつですね。シューベルト作曲、ゲーテ作詞だそうだ。日本統治時代に文部省唱歌として台湾でも親しまれ、ドイツ製なので戦後も排除されることなく今でも台湾の学校で歌い継がれているものらしい。
http://www.bekkoame.ne.jp/%7Emann1952/lied/nobara.html こちらのサイトに詳しい紹介があった。それによると、この詩はゲーテシュトラスブルク郊外の村で出会い恋をしたある少女の思い出をモチーフにしているとのこと。ゲーテもやはりその女性を捨ててしまうわけですね。しかし、「フリデリケ・ブリオンに対する懺悔の念は以後のゲーテの作品の大きなモチーフとなって、いろいろな場面で表現され」続ける。晩年の大作『ファウスト』ではグレートヒェンとして登場し、次のような詩をうたう。

わたしの安らぎは失せ、  わたしの心は重い、
わたしに安らぎはもう帰ってこない  これから先も帰ってこない。

あの人が居ないところは、  わたしにとって墓場と同じ、
この世のなにもかもが  わたしにはいとわしい。

わたしの哀れな頭は  狂ってしまった、
わたしの哀れな心は  千々に乱れている。
(略) http://santa-cecilia.blog.so-net.ne.jp/2005-12-08


このドラマで60年前の恋がいまさら取り上げられるのは、手紙が未だ届いていないからだ。手紙を出すことができれば、教師は少しは救われただろう。しかし友子のことを考えたら、おそらく上記グレートヒェンのように「狂っている」だろうところの友子のことを考えたら手紙を出すことはできなかった。その代わり彼は、ゲーテほどの天才もないのに大きすぎる懺悔の念を死ぬまで抱えつづけたのだ。
映画が描く60年後の友子は穏やかな老後を送っているかにみえる。しかし、彼女は後ろ姿を見せるだけで一度も振り返って顔をみせない。そこには表示不可能な深淵があるのだ。


さてそれと対比するならば現在の友子は屈託がない。確かに彼女は異国の田舎でただ一人、中国語を上手にあやつり健闘している。日本人から見れば十分健気なわけなのですが・・・
自分がマネージメントしなければいけないバンドが*4上手くいかないからといって、泥酔のあまり阿嘉(主演男優)の家の前で倒れてしまうなんて業界人としてはありえない子供っぽさです。これが男性だったら、どんな手段を使ってでも東京の本社の権力を現地人に理解させようとしそのことによって自分の現地での権力を確立したでしょうあ。しかし(現在の)友子は本来ファッションモデルであり、見られる客体ではあっても権力を振り回すことなどできないのです。彼女がフラストレーションにおちいるしかなかったのもある意味当然です。しかしそれは自分が日本人であり権力の末端に連なるものであるのにそれ相応の敬意を受けられないことの不満だ、と台湾人からは冷たく指摘されるべきものにすぎないのでしょう。
彼女は酔っ払って靴で阿嘉の家のガラス窓を叩き壊します。だのに、翌日それを忘れて、「まあひどい」と他人事のようにつぶやくのです。この映画はもちろん(現在の)友子を許し愛すものです。しかしそのためには(現在の)友子もまた、日本人である、原罪を引きずるものであることは一度は確認されないといけないのです。*5
しかしそこには、60年前とは構図の変化があります。60年前はもちろん日本人=男性が主体であり、台湾人は客体でした。しかし現在は、台湾人=男性が主体であり、日本人は客体なのです。


最後阿嘉(主演男優)のプロポーズ*6を友子が承諾する場面が、あまりにもパブリックに展開される事に違和感を感じる人もいるだろう。しかしおそらくそこにこそ、台湾の庶民はナショナルなルサンチマンが癒されるのを感じたのだろう。
これについて、ほぼ同じ角度からだが、ここのブログが触れている。
http://www.cinemaonline.jp/review/geki/10996.html


繰り返すが、この映画は、よくできたエンターテイメントである。もっと多くの人に見てもらいたいと思う。(わたしの文章だと硬くなりすぎ)
わたしたちは隣人どうしであり、互いに愛し合うのに困難はない。ただし、歴史を切り捨て、自分が善意だから相手も善意であるべきだとかの決め付けが相手に通用するとする錯覚にさえ囚われなければ。

参考youtube

西村幸祐という人の「台湾映画『海角七号』について」
http://www.youtube.com/watch?v=p2V25zr9NJQ&feature=player_embedded
まだ見てない。見たら批判するかも

*1:http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20100114/p2 では、「阿嘉と友子の恋愛も、(略)、その後で恋愛関係がしっかり続くほどふたりが愛し合う理由がないのだ。」と厳しい指摘。

*2:私はうかつなことに日本名小島友子というのが、台湾人だってことを映画を見てる時は分かっていなかった。恥。

*3:そのときすでに日本人は主権を失っていたので結婚せずに連れ出すことは制度的に無理だったのかもしれない。しかしそういうふうな説明はされていない。

*4:そうなってしまったのは偶然であり彼女の本来の仕事ではないとしてもほとんどそのような関係になってしまった

*5:ホテル客室係シノ・リンの「日本人にも愛が分かるの?」という台詞で念押しされます。

*6:広い意味での