松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

引用

卒業したらオトナの世の中に出て行く生徒に対し、教員が(その権力でもって)強要できる知識・認識は、結局は「今の社会の一般常識や教養、批判的に世の中や報道を見る目、自分の暮らしを守る力、明日を信じて暮らす気持」なんだなあ。
教育権は国家にあるとする日本の場合、国家がその「一般常識」として何を国民に求めるかというのが「教科書」なのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/sava95/20050613#p2 覚え書き

野原は前半に共感するが、後半はどうだろう。“国家に都合の良い人間を造りたい”というベクトルと、歴史と国際関係を切り開いていくために“愛と正義と自己愛を調和させる強靱な知性が必要である”という二つのベクトルが存在し、後者の方が勿論大事である。国家に取ってさえ。ところが前者が大事と勘違いしている馬鹿が増えているのが問題なんだ。とわたしは思うのだが。