松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

水戸ってどこよ(あるいは お買い得講座)

 大阪で新しい市民向け思想史講座が開講されました。5回で三千円ですが、前半が子安先生の本居宣長講座、後半が色々な研究者による研究発表となっています。こういう言い方は不謹慎かと思いますが十で割ると一回三百円だからお買い得ですね。しかも入会金なし。ただ会場との関係においては「市民向け講座」ではなく「研究会」であるとのこと。この点問題であれば即刻削除しますのでメールしてください。VYN03317@nifty.com
http://homepage1.nifty.com/koyasu/lecture.html
懐徳堂研究会 思想史講座」河合塾セルスタの5階会議室。阪急梅田北へ徒歩六分
子安宣邦本居宣長を読む」
5/15研究報告1:桂島宣弘(立命館大学):後期水戸学の諸問題。研究報告2:福島栄寿(大谷大学):思想史としての「精神主義」(仮題)。
 さて内容ですが、研究会の方も難しすぎもせず退屈もせず面白かったです。教育勅語などの「天皇を中心にした日本」のグランドデザインは後期水戸学によって為された、このことは常識なのかもしれない。でも研究者の常識であるだけで、普通の人は後期水戸学って何?状態だと思う。藤田東湖とかに言及している本を見たのは、野原にしても、村上一郎の『幕末−非命の維新者』だけだ。ここで村上一郎の文庫本1974年刊(とっくに絶版)を取り出して読んでみた。がそれについては次の項目とする。桂島宣弘氏の報告は予告とは違い「水戸学の諸問題−−大日本史から見える問題を中心に」であった。論点は−−と書きかけたのだが、だいたい「大日本史」のなんたるかを知らずに論点もへちまもない。わたしはまったく無知なのになんだか文章を書いてしまい読者に迷惑を掛けている。まとにかく、大日本史のどこが「大」なのかは、下記とかを参照のこと。というか下記を読んではじめてわかったことが多かった。戦前戦中期にむりやりたたき込まれた反動で戦後はずっと忌避されていた情報であるわけです。
http://komonsan.on.arena.ne.jp/htm/hensan.htm
で要は、黄門さんこと水戸光圀公の理想は「後世の史臣に深い思索と発明を促し、没後100年、藤田幽谷の出現によって尊王攘夷の運動を興させ、」明治維新へと歴史を方向づけたということなわけです。光圀が1645年に史記伯夷伝(伯夷と叔斉の話)を読んで史書編纂を決意して以来250年、明治三十九年にようやく出来た、ということです。日本人に社会のあり方と人の道の基準を教えるために史書を作るという意志が確立され250年も貫き通され成就したという話ですが、これはもちろんフィクションにすぎません。前期水戸学と後期水戸学(1786年から)との間にも大きな落差がある。後期水戸学が確立した国体論と尊王攘夷論が遡って、前期の時代からあった、とされてしまっていたのだ。実際には前期水戸学は同時代の林家、新井白石とほぼ同じ問題意識にたっていた。天武天皇北朝の正統性を疑う点も三者共通であるし、問題を三国時代の魏・呉・蜀の正統性の議論の重ねて論じており、万世一系の問題としては捉えていなかった。云々ということで一言だけ書くことができないので長くなってしまった。