松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

わたしの日とあなたの日(金時鐘メモ3)

 日日という言葉は普通は「日々」と書くが、この点でだけ、金時鐘は日本語の正書法に従わない。「その日を生きる。/日本を生きる。/おれらが朝鮮を/創って生きる。」*1という行もある。日は日本の日でもある。そして日本は分断されていないのに、日日という文字列どうり上下に分断された朝鮮。*2「朝鮮」を背負って日本で生きるという逆説の上に成立する日々は、日々という即自性を持たない。日と日の間に目に見えない分断があるそうした日日を朝鮮人たちは生きていくのだ。
「日日」をタイトルに含む詩は上に部分引用した『光州詩片』に一つ、『猪飼野詩集』に三つある。そのうちの「日日の深みで(3)」から最初の3連を引用したい。*3「日」という文字は箱のようにも見えるところからも発想されたのかもしれない詩。

   日日の深みで(3)
それは箱である。
こまぎれた日日の
納戸であり
押しこめられた暮らしが
もつれさざめく
それは張りぼて
箱である。


箱のなかで
箱をひろげ
ロがな一日箱を束ねては
箱に埋もれる。
箱は催足される
空洞であり
追いまくられて吐息のいぶる
うつろなよすぎの
升目である。


立方状に仕切られてあるものに
生活があり
忍耐はいつも
長屋ごと升目にかかるので
夜を日についだ稼ぎですら
ねぐらが埋まる程度の量(かさ)でしかない。

*1:p277同書

*2:彼の本は普通と同じくすべて縦書きで組まれている。

*3:p194