松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

私は忘れない(金時鐘メモ2)

私は忘れない。
世界が忘れても
この私からは忘れさせない。

この3行は金時鐘の詩集『広州詩片』の序詩である*1
「忘れない」と強く断言されている対象は何か?
たしかにありはしました。燃えた熱気にゆらめいた日が。
生きるよすがを明日に見た
今日という今日もありはしました。
*2
「確かに」と作者は断言しようとするのだが、言葉にしようとすると陽炎のように揺らめいてしまう。
地平の彼方ははやくもあふれる朝の光です。
思いおこしなさい。思いおこしなさい。どこで燃えた一日なのかを。

「あふれる朝の光」は普通最も肯定的なものを暗示するのに使われるが、この詩の場合は逆だ。作者が忘れないとする<真実>はむしろ<闇>という言葉で語られる。
さかしい自足にからまれて去った
今日でない今日の昨日を見据えなさい。
それがあなたのかかえる闇です。
見据えなさい。見据えなさい。またも変わる年のまえに。

<今日の今日>という現在を超えていく微分的運動としての現在が、いまふりかえるならば昨日という日付に在った。だがそれは日日の自足のなかでやり過ごされ蜃気楼のように摩滅していく。そうしたとき<今日の今日>に燃えた<真実>はもはや「闇」となる。だから詩人は逆説的にも「闇を見据えよ」と命令せざるをえないのだ。<真実>を否定する世界が圧倒的な「朝の光」として世界を漂白しにやってくる、その一瞬前に、あなた闇を見据えなさい。と詩人は命令する。

詩集「光州詩片」の最後の詩「日日よ、相うすきそこひの闇よ」*3の冒頭の二連をあらためて引用しておく。*4

正直に言うと長編詩「新潟」などわたしにはほとんどよく分からない。下記の詩行も意味の反転にみちみちているのだが、わたしはここではじめて金時鐘の<何か>にであったのだ。(デリダ風の二項対立の脱構築であり分かりやすい!?)
明日というもののなかに、<今日の今日>あるいは本物の希望というものを期待することなど野暮にすぎない、とする感覚が普遍化した現在、理解しやすい詩行だ(と言ってみよう)。


     日日よ、愛うすきそこひの闇よ

まだ夢を見ようというのですか?
明日はきりもなく今日を重ねて明日なのに
明日がまだ今日でない光にあふれるとでもいうのですか?
今日を過ごしたようには新しい年に立ち入らないでください。
ただ長(た)けて老成する日日をそうもやすやすとは受け入れないでください。
やってくるあしたが明日だとはかぎらないのです。
日日をさらして透けてしまったすっかり忘れられる愛でもあるのです。
行った年にこそ目醒めなさい。
さかしい自足にからまれて去った今日でない今日の昨日を見据えなさい。
それがあなたのかかえる闇です。
見据えなさい。見据えなさい。またも変わる年のまえに。


そうです。年は行ってしまうものです。
待たなくともいい年を待って とっていく年がだからあるのです。
だからこそ年月が 経なくともいい年月のなかで 節くれるのであり
黄ばんでうすれてもささくれ一つ
過去が残す歳月はないのです。
だからおよしなさい。
待つことだけの明日であるなら 今のうちにお仕舞いなさい。
明日がそのまま今日であっては
やってくる明日が途方に暮れます。
それでも明日がすべてですか?
待つまでもない明日を待って
今日の今日を失くすのですか?
太陽がかげります。
地平の彼方ははやくもあふれる朝の光です。
思いおこしなさい。思いおこしなさい。どこで燃えた一日なのかを。

*1:p41『集成詩集・原野の詩』

*2:p108同書

*3:p106〜p112同書

*4:「そこひ」という言葉を小学館国語大辞典で引いてみた。内障とも書いて眼球内の疾病のこととあった。もう一つ、底方(そこい・そこひ)という古語もある。「至りきわまるところ。極めて深い底。奥底。はて。」とある。考えるに、この二義性を含んでいるのだろう。