松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

不幸な意識は幸福な理性へ

「自己意識」の章が難解だが刺激的なのに比し、「理性」章(のはじめ)はつまらない(だがその分今までよりはだいぶ早く読める)。長谷川氏によれば、「不幸な意識がどのように分裂を克服したのかは説明されないまま、「B.自己意識」から「C.(AA)理性」に移ると、不幸な意識は幸福な理性にうまれかわっている。」*1これまで外界が、自分の独立と自由を否定するかに思っていたのに、もはや平静、「現実の一切が理性以外のなにものでもないことを確信する」に至る。まだ161ページ、1/3弱のところでそんなことを言って後が続くのか心配だぞ。この理性の勝利と「わたしはわたしだ」という命題が同義だとされる。解説によればこれはフィヒテ哲学の核心なのだと。で、「C.(AA)理性」はABCに分かれ、最初の「A観察する理性」(168〜236)は当時の自然学の理論をなぞり批判しているだけでつまんないと長谷川氏も言っている。とっとと読み飛ばそう。