松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

食欲

 われわれが食物に面し、それをとって食べるさい、食物が自我に対立し自我から独立して絶対におかすべからざる他者性をもつと信ずるとすれば、とって食い自己化し得ないが、他者にちがいないとしても、自我に対立するだけの力をもたず、無力であると自我で確信しているからこそ、とって食べることができるのです。この意味で根底に無限性の立場をとる自己意識であってはじめて欲望を持ちうるといえます。*1
バタイユラカン以後わたしたちの時代はまさに欲望の時代だ、といいうるだろう。ヘーゲルの欲望はそれとは違いそんなにギラギラしていない。金子氏のこの文章を引用したのは目の前の一切れのパンを食べることが、“根底に無限性の立場をとる自己意識であってはじめて”可能だ、という大袈裟さに落語的おかしさを感じたため。

*1:金子武蔵『ヘーゲル精神現象学』p129 isbn:4480082905