松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「遺書を書こう」ふたたび

グラグラのあたしを書く、主体の不在=不安を表現にどう憑依させるか。
まずわたしがいるのだがすぐ崩れてしまいそうだ。言葉を重ねることで不安定さを表現することができる。方法の獲得。方法が消え去らないうちに、書かなければいけない。
財産/日記/服/友だち
 ここでも「どうでもいいです」という始まり近くにある行が効果的に働いている。
ごめんね/ありがとう/さようなら
 と丁寧だが丁寧さは「こころがここにない」ことの表現になりうる。
思い残す事は何もない/私は幸せに逝きました。主体は不在なので、思い残すことなど最初からありようがない。
これで何時でも死ねる/と思うと/安心した
主体が不在とは、安心の否定である。一歩一歩丁寧に辿ってきたのに矛盾に到達した。
あたしは窓から飛び降りた
振り出しに戻り別の選択支を選ぶ。画面が消え何も映らない。
彼女には表現をことさらクリシェの側に押しやって否定してしまうといった傾向がある。<主体の不在=不安>を書くためにはそれに成功してはいけない。成功しそうになったら否定しなければいけない。

以上、彼女は方法を確立した詩人だったということで、であればわたしは彼女の何に引っ掛かっているのか。(12月7日追加)