松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

誰の権利が侵害されているのか?

(1) 我が国において,日の丸,君が代は,明治時代以降,第二次世界大戦終了までの間,皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきたことがあることは否定し難い歴史的事実であり,国旗・国歌法により,日の丸,君が代が国旗,国歌と規定された現在においても、なお国民の間で宗教的,政治的にみて日の丸,君が代が価値中立的なものと認められるまでには至っていない状況にあることが認められる。このため,国民の間には,公立学校の入学式,卒業式において,国旗掲揚,国歌斉唱をすることに反対する者も少なからずおり,このような世界観,主義・主張を持つ者の思想・良心の自由も、他者の権利を侵害するなど公共の福祉に反しない限り,憲法上,保護に値する権利というべきである。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~yobousoshou/hanketsu.htm

したがって,教職員に対し,一律に,入学式,卒業式等の式典において国歌斉唱の際に国旗に向かって起立し,国歌を斉唱すること,ピアノ伴奏をすることとの義務を課すことは、思想・良心の自由に対する制約になるものと解するのが相当である。 この点に関し,被告らは,本件通達に基づき校長が教職員に対し国歌斉唱を命じ,ピアノ伴奏を命じることは,教職員に対し一定の外部的行為を命じるものであり,当該教職員の内心領域における精神活動までを制約するものではなく,思想,良心の自由を侵害していないと主張する。しかし、人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するものであり,これを切り離して考えることは困難かつ不自然であり,入学式,卒業式等の式典において,国旗に向かって起立したくない,国家を斉唱レたくない,或いは国歌を伴奏したくないという思想,良心を持つ教職員にこれらの行為を命じることは,これらの思想,良心を有する者の自由権を侵害しているというべきであり,上記被告らの主張は採用することができない。(同上)

国歌斉唱義務不存在確認等請求事件 東京地裁判決趣旨 平成18年9月21日 は上のように述べている。
1945年8月までの間に日の丸は皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきた。
そのため、宗教的,政治的にみて日の丸,君が代を価値中立的なものと認めない国民が多数存在すること。
でそのひとたちの持つ思想・良心の自由も、憲法上,保護に値する権利である、と言っているわけである。


その背景にあるのは、1999年の

国旗及び国歌に関する法律
第一条  国旗は、日章旗とする。
2  日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
第二条  国歌は、君が代とする。
2  君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。(以上全文)

および、
東京都教委からの、平成15年10月23日付け「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の指導について(通達)」です。
この通達が、ある人たちの思想・良心の自由を侵したものだと、地裁判決は確認したわけである。

国旗に対する敬意と表現の自由

 現在でも、国旗敬礼を拒否する信仰の戦いにおいて戦線を守るのはエホバの証人の子供たちです。今日の日本でも、多くの子供たちが、エホバの証人の子供であり国旗崇拝を拒否するという理由でいろいろとつらい経験をさせられています。
http://biblia.milkcafe.to/04-nu-01-52.html

 1935年、当時エホバの証人の指導的立場にあったJ・F・ラザフォードに子供たちのグループが近づき、国旗に敬礼することはクリスチャンにとってよいことなのかと質問するということがありました。その時、ラザフォードは国旗敬礼に対する否定的な見解を述べ、そのことがエホバの証人の子供たちの間で知られるようになりました。
 やがて、子供たちの中から学校で国旗敬礼を拒否する者が現れるようになりました。特に、マサチューセッツ州リンのカールトン・B・ニコルズ・ジュニアという8歳の少年がアメリカの国旗に敬礼することと愛国的な歌の歌唱に加わることを拒むと、そのことは全米の新聞で報じられました。
 この事件が新聞で報じられるとすぐ、全米のエホバの証人の子供たちが一斉に国旗敬礼を拒否するようになりました。子供たちは律儀です。ニコルズだけを放ってはおけなかったのです。(同上)

アメリカでの判例

●1943年 バーネット事件 連邦最高裁判決
「国旗に対する敬礼および宣誓を強制する場合、その地方教育当局の行為は、自らの限界を超えるものである。しかも、あらゆる公の統制から留保されることが憲法修正第1条の目的であるところの、知性および精神の領域を侵犯するものである」(ウエスト・バージニア州 vs エホバの証人
●1970年 バンクス事件 フロリダ地裁判決
「国旗への宣誓式での起立拒否は、合衆国憲法で保障された権利」
●1977年 マサチューセッツ州最高裁
「公立学校の教師に毎朝、始業時に行われる国旗への宣誓の際、教師が子どもを指導するよう義務づけられた州法は、合衆国憲法にもとづく教師の権利を侵す。バーネット事件で認められた子どもの権利は、教師にも適用される。教師は、信仰と表現の自由に基づき、宣誓に対して沈黙する権利を有する。」
●1977年 ニューヨーク連邦地裁
「国歌吹奏の中で、星条旗が掲揚されるとき、立とうが座っていようが、個人の自由である」
●1989年 最高裁判決(国旗焼却事件)
「我々は国旗への冒涜行為を罰することによって、国旗を聖化するものではない。これを罰することは、この大切な象徴が表すところの自由を損なうことになる」
●1989年 最高裁判決
上院で可決された国旗規制法を却下。「国旗を床に敷いたり、踏みつけることも、表現の自由として保護されるものであり、国旗の上を歩く自由も保証される」
●1990年 最高裁判決
連邦議会が、89年秋に成立させた、国旗を焼いたりする行為を処罰する国旗法は言論の自由を定めた憲法修正1条に違反する。
http://argument.dw.land.to/cgi/BBS/cbbs.cgi?mode=al2&namber=46&rev=&no=1

(以上 参考資料)

学習指導要領の法的拘束力について

法的拘束力を巡る「グレー」な論理、つまり、
* 「学習指導要領=法的拘束力がある」というのはまあ真。しかし、だからといって、
* 「学習指導要領に書いてある詳細を、細かく守る義務がある」という意味では法的拘束力があると言えない

というロジックが通じたのだろうか。この点は、daicnidaicniさんにも紹介した、以下の『教育学研究』の吉岡論文(特に第3節)に詳しい。

CiNii - 日の丸・君が代裁判の概観と判例動向 : 学テ最高裁判決大綱的基準説の継承をめぐって(<特集>教育における「国家的価値」と「普遍的価値」)
http://d.hatena.ne.jp/terracao/20090719/1247986935

terracaoさんご教示ありがとう。
(7/19追記)