少子化対策だけを重要課題にする感覚が間違っている!
●朝のテレビ番組で、江戸学者の田中優子さんが柳沢厚生労働相の問題発言に、「子どもが増えれば社会発展するという固定観念しかない人の言葉だろう。高齢者の人口割合が大きいという構造問題と、高齢化が急速に進むという速度が問題になっているのに、少子化対策しか浮かんでこない人たちの感覚が古い。少子化の議論についても、少子化対策以外の手段はいくつかあると示されているのに、少子化対策だけが重要課題にする感覚のベースも、そもそもは産む道具という考え方にある」という発言をされていて、同感した。人口急増も少子化もあった江戸時代の研究者らしい判断力だと思う。少子化というとわーっと飛びつく政治家や官僚の感覚に、柳沢氏の失言のベースがあるとみてよい。
http://kurokawashigeru.air-nifty.com/blog/2007/02/24_b259.html
きょうも歩く: 2/4 少子化対策にわーっとなるから産む機械発言が出る
http://b.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070205 経由で
田中優子氏の言われるとおりである。
(2/6追加)
人格と結合したきわめて重要な問い
同じブックマークリストからもう一つ。
ひとつには、どうも、子供を産み、育てるということは、妻にとっては、人格と結合したきわめて重要な問いを女性に投げかけることであって、これを「機械」や「装置」という概念に置き換えることができるという発想自体が許されないことであるらしい。
http://dainagon-end.at.webry.info/200702/article_3.html
柳沢大臣失言について、妻から叱られる nagoyan/ウェブリブログ
口の軽い仁が、とんでも文脈でとんでも発言したわけでもないから、いっそう、怒れるのだという。
(同上)
柳沢発言は悪意からのものではない、とかトンデモ発言ではないとの援護言説が盛んだが、見当違いである。
何がトンデモかを決めるこの世界の常識のあり方が、政治家の世界(マスコミの世界もそれに近い)と、現実に産む/産まないというスラッシュの上で悩んでいる女たちとの間で全くずれているということが、問題の核心。
(2/6追加)
アンケートしてみました。
http://q.hatena.ne.jp/1170710876
人力検索はてな - 少子化問題というが一体誰にとっての問題なのでしょうか。 私たち国民ひとりひとりはその問題を解決しようとする方向で「頑張る」べきなのでしょうか。
産むか産まないか(男性の場合は少し表現方法が違ってきますが、男性も含めて考えてください)という判断はそれぞれのひとが自分の人生を掛けて決めていくしかないものです。
☆ その判断にたいし、国家が「頑張れ」という方向で介入することは正しいのでしょうか?
わたしはそうは思いませんが、皆さんの判断をお聞かせください。正しい。 6
それはわたしの問題だ、きみには関係ない。 23
正しいとまでは言えない。 65
その他。 6
合計 100
はてはダイアラーの女性対象。昼間のうちに100人達成。