松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

従軍慰安婦って、な〜に?

というビラ、1、とその2を作りました。
http://666999.info/liu/iannhu3.pdf

最初のエピソードとして、1938年正月、詝軍の名を騙った人身売買めいた勧誘をしているあやしげな男詝が3人、和歌山県田辺警察に逮捕されるっていう事件を取り上げました。当時の内地の警察の常識からして明らかにアウトな事例(人身売買めいた勧誘で女性を海外に連れ出す)が、あにはからんや軍の本当の依頼だったという「びっくり」を取り上げたものです。


次のエピソードとして、水木しげるが実際に見た「ピー屋の前に行ったが、何とゾロゾロと大勢並んでいる。日本のピーの前には百人くらい、ナワピー(沖縄出身)は九十人くらい、朝鮮ピーは八十人くらいだった」という情景を取り上げました。そんなにいたら、一人10分としても10時間ぶっ続けでも、60人処理してもまだ足りません。体験としての過酷さ、ヒドさを端的に理解してもらえるだろうと思って取り上げました。


(その2)ではまず、古山高麗雄の北ビルマの戦記から、「患者が多くて、とてもあの瀬降り病棟に全部を収容しきれず、土の上に、何人もの患者が横たわっていた。雨が降ると、そこでそのまま打たれて、ずぶ濡れに濡れていた。そのような患者が次々に死んだ。死体は、共同の死体壕に投げ込まれた。」といった、病気になった兵士が臨時軍病院からもはみ出して土の上でどんどん死んでいく惨状の描写を取り上げました。ある意味では右翼の方を読者に想定し、北ビルマや南海など日本人が知らない場所で無残な死を迎えた兵士たちのことをあなたたちは実は忘れているのではないか?という問いを込めて書いています。


で次に、そのような兵士の戦友とともに、必敗の戦闘に付き合わされて、死体の山の奥から辛うじて生きていた身体を救いだされた朝鮮人慰安婦たちの話。アメリカの軍事記者が有名な写真を取り、記事にしたので、日本軍は「comfort woman」という奇妙な人々を激戦地まで連れて行くのだということが、一挙に有名になったわけですね。


以上、まあ日本人の側からの見聞を主に使って、それでも慰安婦問題は肯定できないことを書こうとしたものです。


ところで、男性として加害男性の責任問題などから目をそむけずに考え続けてきた彦坂諦氏はこう書いている。

私自身は、あの戦争当時の日本兵たちが「慰安婦」も自分もともにかわいそうなのだと無邪気に思っていたらしいことについて、それは「つらい環境で生きなければならない者たちの自己欺瞞の一つ」としての幻想であり、この種の幻想が兵隊たちのあいだに「広く存在していたであろうことを、そしてまた、ばあいによってはそれが『慰安婦』たちに共有されることさえあったのであろうことを、私は否認しない」と書いたことはあるが、それ以上に考察を深めてはこなかった。*1


極限状態にある兵士が女性の肌を強く求めるのは、ありうる事であろう。そしてそれはその当時、戦時強姦とは違って許された行為であった。何十年も経ってから糾弾された場合にうろたえるのは当然であろう。ペニスの側にはペニスの側の感情や論理があるから言い返したいと思い実行するとしたらそれは一概に無視すべきだとは思わない。
ただ実際に行われている抗弁は、もっぱら国家の側に立って「国家にとってそれが必要だから許せ」とするものである。国家がたくさんの女性の性=身体をほしいままにしたわけだ。そうである限りにおいて、国家は糾弾されるべきだという結論は揺るがないと私は思う。

*1:p70彦坂諦「男性神話からみた兵士の精神構造」『加害の精神構造と戦後責任緑風出版