松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

『近代中国思想の生成』は読みにくい

中国のポストモダン系思想史家(?)汪暉(ワンフィ)の分厚い本『近代中国思想の生成』*1というのを図書館から借りた。一部だけ読んで諦めて返したが、せっかくなのでちょっとだけメモしておきます。


私が興味を引かれたのは次の文章。

天理と公理は、士大夫が社会批判を行う場合や、下層階級の社会的反抗、新秩序が正当性を証明しようとする場合、革命運動における道義上の目標などに利用される。

批判運動や反抗運動は、天理と公理を究極的で普遍的な価値であるととらえた上で、天理と公理を現実の秩序との人為的関連からひきはがして、そうした現実的秩序が反天理的、もしくは反公理的な特質を持つことを暴いた。(同書 p111)

 *2
 
このような「究極的で普遍的な価値に基づく」批判というものが私たちから失われて久しい。それがこの現代日本社会の悲惨さをもたらしたのではないか、とまで私は感じている。 

天理的世界観も公理的世界観も、日常生活に訴えながら道徳や政治の合理性について語る。この両者はある種形而上的な特徴をそなえ、存在と当為の間にある種の緊張と相違を留めている。近代=公理的〜は天理的〜の論理にそって自らの合理性や正当性を確立した。p112 

紹介では「儒学的帝国観を保持しつつ近代中国は国家としていかに興起したか.科学的言説を媒介として,天理的世界観から公理的世界観へ,時勢的歴史観から進化論的歴史観へと変容を遂げ,ナショナル・アイデンティティを獲得していく系譜を探求する.」となっているな、なんだそうだったのか。

乱暴な歴史的順序としては、
唐代まで: 天道観
宋、明、清:天理的世界観
20世紀: 公理的世界観 と考えてもよい。

天道観としては柳宗元の「大中の理」があげられ、品級制度を打破して中央集権的な皇権体制をうち立てるという政治的含意を有していたとされる。
天理的世界観とは、程子、朱子によるいわゆる朱子学以降の思想(宋明理学朱子学陽明学など新儒教の総称)をいう訳ですが、その時代区分は京都学派(内藤湖南宮崎市定)を大きく援用している。

宋明理学は、漢代以降の主宰としての天観の代わりに天理概念を持ちだし、天理をひとりひとりが修身や認識の実践によって到達しうる境地であると見なした。この転換の前提となったのは、明らかに、唐宋時代における貴族制の衰退を重要なメルクマーールとする社会転換である。その結果、天理とひとりひとりの主体的な道徳実践との間には、内在的な関連が成立した。


京都学派は、宋王朝国民国家(すなわちネイション・ステイト)であると確認した上で、理学を、交通の発達、都市の繁栄、比較的自白な市場、新たな貨幣制度や税法、目増しに造む労働分業、科挙制を基礎とする官制や教育の普及、政府と軍隊の分離など、「宋代資本主義」の要素にまったく適合した「国民主義イデオロギーであると見なした。

ただし上の文章の後半は京都学派のものであり汪暉の思想ではない、と彼は強調する。

天理と公理は、それぞれの時代に内在しつつ、同時に、それぞれの時代の他者でもあった。134

およそ、理というものは、時代に属していると同時に、その社会秩序と緊張関係を孕みそれを根底的に批判する力を持っているというのが、汪暉の基本的発想である。

 悠久の年月をかけて、人々は「理」観念をめぐる論争を絶え間なく繰り広げてきた。論争のたびごとに、「理」は脱自然化された。

「理」は宇宙の実在または実有であるのか、それとも、わたしたちの心に内在する秩序であるのか。「理」は歴史的に形成されてきた礼楽関係もしくは道徳的規範であるのか、それとも、自然過程の産物なのか。「理」に対する解釈は、つねに人々を、現実の世界に対する人々の理解へと引き戻そうとする。それは物質的世界なのか、観念的世界なのか。それは、制度的世界なのか、それとも自然的世界なのか。人は物理的世界に対する認識を通じて「理」に到達することができるのか、それとも、日常的な生活実践を経由しなければ「理」の内在性を体得することはできないのだろうか。人は結局のところ、制度や儀礼の規範に則って「理」を実行しなければならないのか、それとも、一切の外在的な規範から離れて、自らの本質に回帰することで「理」を再現するべきなのだろうか。
「理」に関する議論は、「物」に対する人々の理解と密接に関わっている。そしてまた、「物」に対する理解は「理」を把握するための唯一の経路でもある。140


康有為、梁啓超、厳復、章炳鱗、魯迅といった人名の連鎖を、なにかしら歴史の進歩といったベクトルにそって並べて見せることがいままで思想史と呼ばれていたのではないか。そのようなやり方にあきたらないとすれば、どのように考えていけばよいのか?

 このように区別することは、「近代中国思想の生成」という問題をわたしたちがもう一度理解するのに役立つ。康有為、梁啓超、厳復、章炳鱗、魯迅(1881-1936)(そして二度の近代中国革命の指導者、孫文毛沢東)らの思想のあり方にはパラドキシカルな点が見出せる。それはなぜだろうか。
つまり、彼らがモダニティを追求した過程では、程度が異なりこそすれ、資本主義とその政治形式に対する批判的な思考が一貫していたのはなぜなのだろうか。宋代以降の思想伝統と近代思想との間の複雑な関係をどのように理解すればよいのだろうか。何らかの内在的な尺度
や経験がなければ、歴史の変化に対して、それを抱擁しつつ反抗するという彼らのやり方を理解することはできないし、公理を追求すると同時に、公理の名を借りた普遍主義の主張を彼らが堅く拒否していたことを理解することもできない。135

 

〈現実の存在そのものが天理自然であると認めることを拒否し、相異なる方向から、そうした現実存在とは異なる自然状態を構築する139〉 批判が中国においては、そのようなスタイルを取り、それが朱子以来、普遍的なあり方である事を汪暉は明らかにした。

汪暉は読みにくいぞ

汪暉(ワンフィ)の文章は読みにくい。それは彼のモチーフが、何かを語ることではなく、それがどうした枠組みで語られるのかその枠組みを批判することにあるからだ。それが一つの理由だが、それ以外に分かりやすい文章を書く能力を彼が持ってない、という理由もある。
かって埴谷雄高が言ったように独裁国家においては分かりやすい文章を書く事は危険である。というか彼が言いたそうにしていることは、中国=帝国は清=帝国の継承であり、帝国主義と違って悪くないんだということのようであり、それは当局の意に即しているわけである。とすれば批判(例えばチベット独立派からの)をストレートに浴びないように、ぬめぬめとしたもので我が身を守ろうとする、彼が身につけた分かりにくさ、あいまい戦略は、そうしたもののようにも感じられる。

*1:石井剛訳 8820円 岩波書店

*2:「公理」という言葉は日本語では、数学の公理という意味が強いように思う。汪暉の本では註を見つけていないので、別の本から註する。「「公理」は、万国普遍の人道、ヒューマニズム、正義、などと訳せよう。清末の改革・革命機運が生みだした新語である」(「三民主義」世界の名著p85)